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生誕140年 吉田博展 [展覧会(日本の絵)]

損保ジャパンビルに仕事で行った友達が、展覧会のポスターが貼ってあるのを見て、
同行の部下に「この展覧会、いいらしいよ」と言ったら、「いい帆船ですね。吉田博って、
この間僕らが会った画家のSさんの友達ですか?」「え~っ、生誕140年って書いてある
だろ」「そんな古いんですか。そういう感じしませんね」
そう、古さを感じさせない版画家、吉田博。名前も画家風でなくふつう。


ちらし.jpg


吉田の作品を気に入っていたダイアナ妃は日本に来た時に自分のカードで購入し、
執務室の壁に版画2枚を飾っていた。その写真を見て、私は「吉田博」の名前を知った。
こういった版画は、「新版画」というジャンルで、明治30年以降のものである。
絵師、彫師、摺師による分業は、浮世絵版画と同じだが、題材が美人画でなく、日常風景や
景色で、浮世絵の倍以上の版木を使用しているので多色表現ができる。


2014年に横浜美術館で、「ニッポンの木版画」という展覧会があり、その時、いろいろな
木版画を見て、素朴でノスタルジックな中にデザイン性があるので好きになった。
中でも、川瀬巴水の昔の東京の風景シリーズが気に入り、横浜高島屋での「川瀬巴水展」
を見に行き感動した。初めて吉田博の版画を見た時、川瀬巴水に似ていると思った。


忙しかったので、何も調べず、予備知識もないまま出かけた展覧会だったが、第一室から驚く。

第1章 不同舎の時代 1894-1899

小さい時から、実に絵が上手い。
福岡・旧久留米藩士の次男として生まれた博だったが、絵の才能を買われ、洋画家吉田嘉三郎
の養子になる。さらに、京都での修業を経て、博は東京の小山正太郎の画塾・不同舎に入門し、
水彩画を学んだ。水彩画は当時、来日した英国人画家によって紹介され、風景画が人気だった。

赤い花のある庭の絵「花のある風景」は赤、ピンク、緑の花に光の影が差し込み印象派風。
「冬木立」では浅井忠の秋のグレの景色が浮かんだ。

不同舎での学びは、水彩画の後に油彩に取り組むという段階になっていた。
上野公園の旧博覧会場で開催された「明治美術会10周年記念展覧会」に出品した油絵作品
「雲叡深秋」。縦111㎝の大きな絵。この絵がデトロイトの美術コレクター、フリーア氏の目に
とまり、アメリカ行きをすすめられたらしい。
雲叡深秋.jpg


第2章 外遊の時代 1900-1906

不同舎で学んでいる頃、養父が急死をしたため、博は一家を養う立場になる。
横浜にあった外国人相手の美術展で水彩画がよく売れたことから、博は借金をして
片道切符を買い、不同舎の後輩、中川八郎と共に渡米、船でサンフランシスコに上陸し、
デトロイトに向かった。
デトロイト美術館で館長に見せた作品が絶賛され、展覧会が開催された。展覧会は好評で
絵は40枚売れ、1000ドル以上(当時の小学校の教員13年分の給与)が手に入った。
大金を手にしたので、ボストンに行き、そこで開いた展覧会も成功。二人はヨーロッパへ旅立った。

パリでは自作が展示されている万博(1900年)、ルーヴルなどの美術館を見てまわり、
留学中の浅井忠に世話になり、1か月半ほど滞在。ドイツ、スイス、イタリアを歴訪の後、
展覧会開催のため、再びアメリカに戻った。

展覧会でよく売れたのは、日本の風景の水彩画、桜の絵であった。
土手の桜」、これとほぼ同じ絵が、ワシントン水彩画クラブ10周年記念展で最優秀賞に
選ばれ、賞金100ドルを得た。霞がかった夕景の桜は博が得意とするものであった。

土手の桜.jpg

2年の外遊の後、帰国した博は、黒田清輝らが設立した「白馬会」に対抗するため、
「太平洋画会」を立ち上げた。官費でフランスに留学し、美術学校の教授となっていた
黒田清輝と博は仲が悪かったそうだ。

博は、画家である義妹「ふじを」を伴って、再び渡米し、2年半ほど滞在した。
その間に、ふじをとの2人展を各地で開催し、16歳のふじをは、アメリカでの日本人初の女性画家
として脚光を浴びる。「土手の桜」に見られるように、霧、霞、雨上がりといった「もやっ」とした表現の
中に巧みな写実描写が見られる水彩画「霧の農家」
霧の農家.jpg

当時評判だった「ホイッスラー回顧展」を見て、博はホイッスラーに心酔。
油彩へと興味が移っていく。
「チューリンガムの黄昏」は、抑えた色調の黄昏に、灯りがぽつんと、ホイッスラーふう。

チューリンガムの黄昏.jpg


世界各国を旅した博なので、明るい光のフロリダ、ロンドン、パリ、ヴェニス、
エジプトのスフィンクスと外遊時の油絵が観光名画で面白かった。
プラド美術館で、ヴェラスケス、レンブラントの模写をしたものもあった。

漱石の「三四郎」で、「長い間外国を旅行して歩いた兄妹の画」を三四郎と美禰子が見に行く
下りがあり、「ヴェニスでしょう。、、、兄さんのほうがよほどうまいようですね」と紹介されている。
(この絵は、ふじをの絵と共に「夏目漱石の美術世界展」で展示されていた)

ヴェニスの運河.jpg


第3章 画壇の頂へ 1907-1920

長い海外滞在から帰国してすぐ、博は、ふじをと結婚した。
2人の外国旅行の絵の展覧会は大評判だった。
画壇では、白馬会と太平洋画会の対立が続いていたため、騒動を収めるべく、
日本初の官設公募展「文展」が開催され、その第4回展では博は審査員に選ばれた。
頂点に立ったのである。

しかし、この頃から、博が得意とした水彩画のブームが過ぎ、博の造形は時代遅れと
見なされるようになった。外遊も第一次世界大戦で果たせず、博は国内の山々の絵を
描くようになった。もともと登山が好きで、次男には「穂高」と名付けている。
博はガイドを雇って、良い天気を待ちながら野営し、光や雲の動きを捉えて描いた。
頂上に近い場所で描いているため、他の画家の山岳風景画とは視点が異なり、すばらしい。
「穂高山」

穂高.jpg


博は、槍ヶ岳がよく見える山の中腹の崖に家を建て、4年間暮らした。
博は、中里に家を建てた。崖の上に建ち、庭には見晴台のある広大な
家の応接間に壁画として飾られたのが、「槍ヶ岳と東鎌尾根」の2枚

槍ヶ岳.jpg


同じく自宅の応接間に飾られた壁画。庭の実景であろうか。色鮮やかで美しい。

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第4章 木版画という新世界 1921-1929

博は大正9年(1920)に新版画の版元、渡辺庄三郎から、明治神宮造営完成記念の
品として大口寄付をした人に配布する賭け軸の下絵を頼まれた。
このことから、「新版画」に対する興味がわいてくる。
新版画は、摺りの回数が多いのが特徴で、作品によっては90回も刷りを重ねる。

「穂高」 渡邊版
穂高水彩.jpg


「帆船 朝日」 渡邊版
瀬戸内海に浮かぶ帆船。朝日を真正面にとらえ、乱反射するさまを表している。
同じ版木で色を変え、「帆船 日中」、「帆船 夕日」も制作した。
大気の変化や光に若い頃から敏感だった博ならでは、であろう。
モネが「ルーアン大聖堂」の連作で時間の推移を描いたのと似ていると思った。
帆船.jpg


1923年、関東大震災がおこり、渡辺の店も全焼。太平洋画会の会員にも罹災者が
多かった。博は罹災者を救うべく作品を持ってアメリカ・ボストンへ旅立つ。
しかし、日本人の絵が珍しかった時代は過ぎ、絵は思うように売れなかった。
そして、いまだに浮世絵に人気があることを知った博は、帰国後、木版画に転じる。
博は彫りや摺りの技術も習得し、職人を厳しく指導して、私家版の制作に乗り出す。
私家版としての作品は、アメリカの西部シリーズで始まった。
「グランドキャニオン」
グランドキャニオン.jpg


ナイヤガラ瀑布」、「モレーン湖」、「ユングフラウ山」、「スフィンクス」など、どれも
すばらしい木版画。
このスフィンクスは、昼だが、夜の一枚との対照が異国情緒に誘われる。

スフィンクス.jpg


博の水の表現は卓越したものがあると思う。
「渓流」、木版でこの表現!
渓流.jpg



第5章 新たな画題を求めて 1930-1937

博は54才で4度目の海外旅行に行く。アメリカは当時大不況下だったで、
ヒマラヤの山々へ憧れもありインドへ19歳の長男と共に出かけた。
インドではイスラム建築に魅了され、絵画に幻想的な雰囲気を取り入れる工夫
をしている。帰国後、「東南アジア、インドシリーズ」の木版画を完成させた。
シンガポール、ラングーン、タージマハール、アジャンタ、ヒマラヤの山など、どれも興味深い絵だった。
印度と東南アジア フワテプールシクリ」
フワテプールシクリはインドのムガール帝国時代の都市。
モスクと思われる建物の中の人物を逆光で浮かび上がらせている。
明るい中庭、床の照り返しなど、光の表現が巧み。

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第6章 戦中と戦後 1938-1950

昭和12年、61歳の時、日中戦争が始まり、博は陸軍の従軍画家として中国に赴いた。
自ら志願したとのことである。「急降下爆撃」、「空中戦闘」という戦闘機の絵では、
川端龍子の「香炉峰」と同時代だなぁと思った。
木版画の制作は減り、製鉄所や造船所で働く人々を描き、展覧会に出品した。


戦後、下落合のアトリエが広かったので、進駐軍に接収されそうになったが、画家にとって
アトリエは大切と英語で述べ、接収を免れた。戦前から博の木版画はアメリカで人気が
あったため、吉田邸は進駐軍関係者が集った。博は彼らを迎えてもてなし、木版画の制作工程
を実演してみせ、作品を売った。
体力の衰えもあり、戦後の木版画は1枚だけである。
博の跡を継ぎ、長男、次男共に版画家となり、活躍している。


この展覧会は、前期・後期と分かれ、前期のみ66点、後期のみ66点なので、8月1日からの
後期にも足を運ばないと、と思っている。



 ※ yk2さんが、「吉田博展」の記事を書いてらっしゃるので、おすすめです。
第1回は、アンリ・リヴィエールの紹介
http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2017-08-02

第2回が、吉田博とアンリ・リヴィエールと同時代の日本の版画作家たち
http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2017-08-04

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川端龍子展 [展覧会(日本の絵)]

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今年は川端龍子(1885~1966)の没後50年、山種美術館で回顧展が開かれている。
サブタイトルは、「超ド級の日本画」。
見に行くまでは、このタイトルがあまりいいものに思えなかったが、見終わった後には、まぁそうだな
と納得がいった。


日曜日の午後、暑い日、友達と渋谷で待ち合わせてタクシーで行った。
いつもは、恵比寿から歩いて行くのだが、暑いのでタクシー。730円。近い。

朝のNHK「日曜美術館」が、この展覧会の特集だったので、混んでいるかと思ったが、
そんなことはなかった。

第1章 龍子誕生ー洋画、挿絵、そして日本画
龍子とは、龍の落とし子の意味で、本人がつけた画号である。
初めは洋画家を志し、白馬会洋画研究所などに学び、文部省美術展覧会に入選。
生活の糧を得るため、新聞や雑誌の挿絵を手がけた。このジャーナリズムでの
仕事の経験が、後に戦争という時事的な関心につながり、絵に表すこともあった。

28才で単身渡米、洋画を学ぼうとするが、日本人の洋画には関心を持ってもらえず、失意の
うちにいる時、ボストン美術館で見た日本の古美術に心動かされ、帰国後、日本画へ転向した。

独学で日本画を学んだ龍子は、30才で日本美術院展に初入選、2年後には門人に推挙された。
この時の院展の長は横山大観であった。36才の時、発表した「火生」
会場では、照明の下、赤く輝いて迫力がある。
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『火生』は日本神話の英雄「ヤマトタケル」を描いている。荒れ狂う金色の炎、火で赤くなった体。
剣を振り上げ、かっと見開いた眼で敵を見ているのだろうか。

このよう激しく荒々しい表現は、従来の日本画になかったので、これは家の床の間に飾るような絵
でなく、展覧会で見る絵であるという皮肉を込めて龍子の作品は「会場芸術」とよばれた。


第2章  青龍社とともに -「会場芸術」と大衆-

実際、龍子の作品には巨大なものが多い。屏風もサイズが大きい。
今回、大きくて驚いた作品はこれ、「香炉峰」
画面いっぱいに大きな戦闘機。
空を飛んでいるのだが、戦闘機がシースルーになって下の景色が見える。
操縦士は龍子本人。日本軍の嘱託画家として偵察機に乗り、香炉峰の景観を描いた
経験をもとにしているそうだ。眼下に七重の塔が見えたりしていた。
なぜシースルーにしたのだろうか?奇抜な発想。


香炉峰.jpg


「鳴門」1929年 幅8m38㎝

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海の青さと荒れる鳴門の渦潮の白の対比。龍子は、水の表現がすばらしい。
しぶきをあげて荒立つ白波。よく見ると、白の波に所々、金、銀が使われていて、立体的に見える
効果になっている。
会場では、屏風として、折った展示なので、見る角度で、実際に鳥が海の上を飛んでいるようだったり、
入江の島が迫って見えたりする。


「草の実」1931年

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黒地にススキや女郎花など秋の草花を金泥主体で描いた作品。
金を重ね塗りしたり、プラチナを使ったりと、秋の草花が装飾性高く描かれている。
じっと見ていると神秘的で、仏教的な崇高さが感じられる。
傑作と名高い東京国立近代美術館の「草炎」の翌年に描かれた作品。


「黒潮」1932年
「鳴門」と同じ群青色の海、広々とした海原をトビウオの群れが勢いよく飛ぶ。


「龍巻」1933年 
戦争の時代。日本領の島と米国領の島が混在する太平洋の波乱を象徴する作品。
正方形の大きな絵。
龍巻で、イカ・太刀魚・アカエイ・クラゲなどの魚が上からまっさかさまに下へ落ちていく。
サメだけが体をうねらせてこちらに向かってくる。ここでもくすんだ青い海中での波しぶき、
水の重量感の表現が装飾的で美しい。


「五鱗」1939年
鯉五匹、黒が四匹に赤一匹。嘴が円の中心になるように配置される。
画布の上半分を占めるさざ波、薄墨でさっと描いたようなさざ波が全体を引き締める。
やはり水の表現が巧みな画家どと思う。
「爆弾散華」1945年

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1945年8月13日、戦争の最中、東京大田区の龍子の自宅の菜園に爆弾が落ちた。
この画は、野菜が爆弾で吹っ飛ぶ瞬間を描いている。金色の破片は爆弾の閃光。


「百子図」1949年

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この年、インドから上野動物園に象の「インディラ」がやってきた。
戦争で象は処分され、長いこと、上野動物園に象はいなかったのだ。
子供たちは象を見たことななく、憧れだった。
インディラは芝浦港に上陸し、首につけ鈴を鳴らしながら深夜、上野動物園まで
9kmの道を歩いたという。憧れの象と戯れる子供たちのようすが描き込まれている。
新聞・雑誌の挿絵画家だった龍子ならでは、の作品。


「牡丹」1961年
花芯が赤く、少しずつ赤が拡散していき、外側の花びらは白という珍しい種類。
紅白のコントラストに緑の葉、と、色づかいがモダン。


第3章 龍子の素顔 -もう一つの本質-
龍子の異母弟に俳人の川端茅舍がいて、龍子も20代の頃から俳句も嗜んでいた。
龍子の俳句を短冊にしたものが、10点ほどあり、書も上手い。
「十二支の年賀状」は、同行の友達が「うわぁ、こんなのもらいたい」と言っていた。

「鯉」 1930年 対になった絹本彩色屏風。
「春草図雛屛風」琳派風の小さな金屏風。
「松竹梅のうち 竹(物語)」1957年 年をとってからは、伝統的な日本画を描いていたと伺える。
「カーネーション」は、やさしい絵。制作年代不詳だが、晩年の作だろうか。
「十一面観音」 龍子は、晩年、自邸に持仏堂を設け、信心深い日々だった。


会場の最後に展示されているのは、大きな屏風「真珠」1931年
これだけ撮影可能と書いてあったので、スマホで撮った。大きいので一部になってしまうが、
雰囲気だけでも。
真珠.jpg


龍子が若い頃、アメリカで感銘を受けたというシャヴァンヌの壁画の神秘性と言われると、
ま、そうだなぁと思う。
山種美術館は、さほど広くないので、さくっと見れて、パワーをもらえる海の絵もあり、
夏の疲れを癒すには、おすすめです。会期中、入れ替えが少しあります。

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ディナーコンサートin ブノワ [オペラ、コンサート、バレエ]

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青山のレストラン、ブノワは、フランスの有名シェフ「アラン・デュカス」がプロデュースする店。
インテリアも料理もフランスふうなので、私は気に入っている。
そのブノワで、ディナーコンサートがあるというので、N嬢と出かけた。

クラシックなインテリアはフランスのサロンふうだから、コンサートにはうってつけ。
あら?ピアノはいつもありましたっけ? ヤマハから借りてきたのだそうです。
コンサートが終わればすぐ、返すとのこと。

テーブルセッティングをしてある席に案内された。
開演時刻の7時、進行係のブノワのマネージャー=北平さんの挨拶とお料理の紹介。

帆立の軽いグリル、カスレ(白いんげん豆ベーコン人参煮込み)、サラダ菜(下の写真、上)
チキンソテー、ソースはなんだったか? ホワイト、グリーンアスパラ添え。
デザートは3種類の柑橘に別添えのカンパリのシャーベット。


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この店は、お水のグラスが赤でかわいいし、わかりやすい。
まずは、スパークリングが注がれる。次、白ワイン。


コンサートは、バリトンの大貫史朗さんによるオペラアリア。ピアノは佐手麻美さん。
大貫さん経歴:芸大在学中に安宅賞受賞、大学院修了後イタリアへ留学。イタリア各地でオペラに出演。
「ヴェルディ・バリトン」と称され、イタリアのオペラファンを魅了した。
佐手さん経歴:東京音大卒、ボストン・ロンジー音楽院大学院演奏課程修了。ソリスト、伴奏者として活躍。

第一声の大音量に皆びっくり。迫力ある歌声に全員、またたくまに惹きつけられた。
力強い歌声だけでなく、愛の歌はこよなく優しくと、変化に富み、歌の魅力に酔う。
食事休憩後、ピアノのソロ。

そして、再びバリトンの大貫さんの歌。フニクリ・フニクラなど有名な曲も。
アンコールは、「オーソレミヨ」(私の太陽)


私は元々大貫さんのファンなので、このコンサートの案内を頂いて、即、行きます!
おいしい食事と好きな歌声、やさしいピアノと至福のひとときだった。


隣のテーブルのかたが私たちに、「このワインおいしいですか?」と話かけてきた。
「ただ(食事代に含まれている)だから、あまり、おいしいとは、、、」と率直な返事のN嬢
「そうですよね!お二人、楽しそうだけどお友達どうしなんですか?」
「そうなんです。もう長年来の、、12才の時から一緒で」 と答えるのはいつもN嬢の係。
「私どもは姉妹なんですよ。ピアノの佐手が姪なんです」

なんていう楽しい交流があったのは、食卓のワインのせいだったわね、きっと。


コンサートは、食事・ワイン込みで、19460円。



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ダン・タイ・ソンのピアノ・リサイタル [オペラ、コンサート、バレエ]

少し前のことになるけれど、ダン・タイ・ソンのピアノ・リサイタルに行った。

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ダン・タイ・ソンはヴェトナム人。
5年に1回開かれるショパンコンクール(1980年)で、アジア人として初めて優勝し(22才)
注目を集めた。次の回(1985年)には、ロシアのブーニンが19才で優勝、来日時には、
ブーニン・フィーヴァーが起きるほどの人気だった。

ダン・タイ・ソンのピアノ・リサイタルに行くのは3度目。10年以上前にサントリーホールで
聴いた時、リストの「水の上を歩く聖フランチェスコ」の演奏が、本当に水の上を歩いてる
ような感じがして素晴らしかった。弾いているというより流れてる感じだった。
そろそろ彼も円熟期にさしかかっている。どんな演奏だろうと期待しながら行った。


2017年6月22日(木)19時 紀尾井ホール

(曲目)
ショパン: 前奏曲 嬰ハ短調 op.45
マズルカ 変ロ長調 op.17-1/ヘ短調 op.7-3/嬰ハ短調 op.50-3
スケルツォ第3番 嬰ハ短調 op.39
リスト: 巡礼の年第1年「スイス」から ジュネーヴの鐘
     ベッリーニ「ノルマの回想」
シューベルト: ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960(遺作)


ダン・タイ・ソンは、『ピアノにハンマーのあることを忘れさせるピアニスト』(仏ル・モンド)
と評されるほどである。メリハリという程度ではなく、椅子に浅く腰掛け全体重をのせての激しい強音。
次はまたとなく優しい恍惚の世界。超絶技巧の見せ場もあって、素晴らしすぎ。

息を止めて食い入るように眺めてしまう。客席の人たちは皆、身動ぎもせずソンさんを見ていた。


アンコールは、2曲。
Beethoven, Leaving song と言って弾いた。
切なさがこみあげ、涙が出るほどの演奏。

久しぶりに感動のコンサートだった。
ダン・タイ・ソンは、4才の時からピアニストの母にピアノを習う。中学生の頃がベトナム戦争の
真っただ中で、ピアノを弾くことができなかったため、紙に鍵盤を描いてイメージトレーニングをした。
防空壕の中にピアノを持ち込んで弾いていたこともあったそうだ。
19才の時、ロシアのピアニストに才能があると見いだされ、モスクワ音楽院に留学した。
そして22才でピアノの世界最高峰のコンクール「ショパンコンクール」に優勝という栄冠を勝ち取った。
ハードな人生だからこそ、表現の幅が広いのだろう。


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演奏開始前の紀尾井ホール。ピアノはスタインウェイだった。

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レストラン ドンピエール [レストラン(フレンチ系)]

5月の休日、京橋の某画廊に絵を見に行きましょうと誘われた。
「ランチも一緒にね。シェイノが日曜日休みだから、困ったわね。どこか知ってる?」
と言われても、私も京橋の東京スクエアガーデンのお店しかわからない。あそこは、
どれもビストロだから、静かなレストランが好みの彼女には向かないし、、」
で、画廊の人にきいてみたら、おすすめが、この店だった。
グルメな画商さん御用達らしい。

ピンクの壁なのだが、落ち着いた雰囲気の店内で、所々壁には絵がかかっている。
サービスの人は物腰が柔らかで、クラシックな良い店。

まずは、アミューズ。海草の下にオクラ、魚介、あとは、何だっけ。。。

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真っ白なテーブルクロスに、立派なお皿が映える。


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百合根のムース、雲丹、コンソメゼリー掛け


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桜鱒のミ・キュイ(まわりだけに火が入っている、半生) 新玉ねぎのソース。
下にはスライスしたアボカド。


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グリーンピースのポタージュ


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黒毛和牛フィレ肉のステーキ 


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ワゴンデザートは好きなだけ選べる。
チョコレートケーキ、プリン、レモンパイ、ライチのゼリー。


こうやって今、写真を見ても、やはりお皿が美しい。美術商の人たちが来るというのも頷ける。
静かで、個室もあるので、商談をするのにも良さそう。(私には関係ないけど)


この店の周りには、画廊だけでなく、骨董屋さんもあったり、古い街並みが残っていたり、
と散策が楽しかった。
戦後すぐ、画廊は銀座7丁目の資生堂界隈に多かったのだが、その辺りがビルに建て替わり、
賃料が高くなったので、京橋に移転する画廊がふえ、集まって来たとのこと。
帰り道、京橋から少し歩くと銀座。王子サーモンの前に来たので、お得なスモークド・サーモン
の切り落としを買って帰った。

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