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生誕140年 吉田博展 [展覧会(日本の絵)]

損保ジャパンビルに仕事で行った友達が、展覧会のポスターが貼ってあるのを見て、
同行の部下に「この展覧会、いいらしいよ」と言ったら、「いい帆船ですね。吉田博って、
この間僕らが会った画家のSさんの友達ですか?」「え~っ、生誕140年って書いてある
だろ」「そんな古いんですか。そういう感じしませんね」
そう、古さを感じさせない版画家、吉田博。名前も画家風でなくふつう。


ちらし.jpg


吉田の作品を気に入っていたダイアナ妃は日本に来た時に自分のカードで購入し、
執務室の壁に版画2枚を飾っていた。その写真を見て、私は「吉田博」の名前を知った。
こういった版画は、「新版画」というジャンルで、明治30年以降のものである。
絵師、彫師、摺師による分業は、浮世絵版画と同じだが、題材が美人画でなく、日常風景や
景色で、浮世絵の倍以上の版木を使用しているので多色表現ができる。


2014年に横浜美術館で、「ニッポンの木版画」という展覧会があり、その時、いろいろな
木版画を見て、素朴でノスタルジックな中にデザイン性があるので好きになった。
中でも、川瀬巴水の昔の東京の風景シリーズが気に入り、横浜高島屋での「川瀬巴水展」
を見に行き感動した。初めて吉田博の版画を見た時、川瀬巴水に似ていると思った。


忙しかったので、何も調べず、予備知識もないまま出かけた展覧会だったが、第一室から驚く。

第1章 不同舎の時代 1894-1899

小さい時から、実に絵が上手い。
福岡・旧久留米藩士の次男として生まれた博だったが、絵の才能を買われ、洋画家吉田嘉三郎
の養子になる。さらに、京都での修業を経て、博は東京の小山正太郎の画塾・不同舎に入門し、
水彩画を学んだ。水彩画は当時、来日した英国人画家によって紹介され、風景画が人気だった。

赤い花のある庭の絵「花のある風景」は赤、ピンク、緑の花に光の影が差し込み印象派風。
「冬木立」では浅井忠の秋のグレの景色が浮かんだ。

不同舎での学びは、水彩画の後に油彩に取り組むという段階になっていた。
上野公園の旧博覧会場で開催された「明治美術会10周年記念展覧会」に出品した油絵作品
「雲叡深秋」。縦111㎝の大きな絵。この絵がデトロイトの美術コレクター、フリーア氏の目に
とまり、アメリカ行きをすすめられたらしい。
雲叡深秋.jpg


第2章 外遊の時代 1900-1906

不同舎で学んでいる頃、養父が急死をしたため、博は一家を養う立場になる。
横浜にあった外国人相手の美術展で水彩画がよく売れたことから、博は借金をして
片道切符を買い、不同舎の後輩、中川八郎と共に渡米、船でサンフランシスコに上陸し、
デトロイトに向かった。
デトロイト美術館で館長に見せた作品が絶賛され、展覧会が開催された。展覧会は好評で
絵は40枚売れ、1000ドル以上(当時の小学校の教員13年分の給与)が手に入った。
大金を手にしたので、ボストンに行き、そこで開いた展覧会も成功。二人はヨーロッパへ旅立った。

パリでは自作が展示されている万博(1900年)、ルーヴルなどの美術館を見てまわり、
留学中の浅井忠に世話になり、1か月半ほど滞在。ドイツ、スイス、イタリアを歴訪の後、
展覧会開催のため、再びアメリカに戻った。

展覧会でよく売れたのは、日本の風景の水彩画、桜の絵であった。
土手の桜」、これとほぼ同じ絵が、ワシントン水彩画クラブ10周年記念展で最優秀賞に
選ばれ、賞金100ドルを得た。霞がかった夕景の桜は博が得意とするものであった。

土手の桜.jpg

2年の外遊の後、帰国した博は、黒田清輝らが設立した「白馬会」に対抗するため、
「太平洋画会」を立ち上げた。官費でフランスに留学し、美術学校の教授となっていた
黒田清輝と博は仲が悪かったそうだ。

博は、画家である義妹「ふじを」を伴って、再び渡米し、2年半ほど滞在した。
その間に、ふじをとの2人展を各地で開催し、16歳のふじをは、アメリカでの日本人初の女性画家
として脚光を浴びる。「土手の桜」に見られるように、霧、霞、雨上がりといった「もやっ」とした表現の
中に巧みな写実描写が見られる水彩画「霧の農家」
霧の農家.jpg

当時評判だった「ホイッスラー回顧展」を見て、博はホイッスラーに心酔。
油彩へと興味が移っていく。
「チューリンガムの黄昏」は、抑えた色調の黄昏に、灯りがぽつんと、ホイッスラーふう。

チューリンガムの黄昏.jpg


世界各国を旅した博なので、明るい光のフロリダ、ロンドン、パリ、ヴェニス、
エジプトのスフィンクスと外遊時の油絵が観光名画で面白かった。
プラド美術館で、ヴェラスケス、レンブラントの模写をしたものもあった。

漱石の「三四郎」で、「長い間外国を旅行して歩いた兄妹の画」を三四郎と美禰子が見に行く
下りがあり、「ヴェニスでしょう。、、、兄さんのほうがよほどうまいようですね」と紹介されている。
(この絵は、ふじをの絵と共に「夏目漱石の美術世界展」で展示されていた)

ヴェニスの運河.jpg


第3章 画壇の頂へ 1907-1920

長い海外滞在から帰国してすぐ、博は、ふじをと結婚した。
2人の外国旅行の絵の展覧会は大評判だった。
画壇では、白馬会と太平洋画会の対立が続いていたため、騒動を収めるべく、
日本初の官設公募展「文展」が開催され、その第4回展では博は審査員に選ばれた。
頂点に立ったのである。

しかし、この頃から、博が得意とした水彩画のブームが過ぎ、博の造形は時代遅れと
見なされるようになった。外遊も第一次世界大戦で果たせず、博は国内の山々の絵を
描くようになった。もともと登山が好きで、次男には「穂高」と名付けている。
博はガイドを雇って、良い天気を待ちながら野営し、光や雲の動きを捉えて描いた。
頂上に近い場所で描いているため、他の画家の山岳風景画とは視点が異なり、すばらしい。
「穂高山」

穂高.jpg


博は、槍ヶ岳がよく見える山の中腹の崖に家を建て、4年間暮らした。
博は、中里に家を建てた。崖の上に建ち、庭には見晴台のある広大な
家の応接間に壁画として飾られたのが、「槍ヶ岳と東鎌尾根」の2枚

槍ヶ岳.jpg


同じく自宅の応接間に飾られた壁画。庭の実景であろうか。色鮮やかで美しい。

ばら.jpg


第4章 木版画という新世界 1921-1929

博は大正9年(1920)に新版画の版元、渡辺庄三郎から、明治神宮造営完成記念の
品として大口寄付をした人に配布する賭け軸の下絵を頼まれた。
このことから、「新版画」に対する興味がわいてくる。
新版画は、摺りの回数が多いのが特徴で、作品によっては90回も刷りを重ねる。

「穂高」 渡邊版
穂高水彩.jpg


「帆船 朝日」 渡邊版
瀬戸内海に浮かぶ帆船。朝日を真正面にとらえ、乱反射するさまを表している。
同じ版木で色を変え、「帆船 日中」、「帆船 夕日」も制作した。
大気の変化や光に若い頃から敏感だった博ならでは、であろう。
モネが「ルーアン大聖堂」の連作で時間の推移を描いたのと似ていると思った。
帆船.jpg


1923年、関東大震災がおこり、渡辺の店も全焼。太平洋画会の会員にも罹災者が
多かった。博は罹災者を救うべく作品を持ってアメリカ・ボストンへ旅立つ。
しかし、日本人の絵が珍しかった時代は過ぎ、絵は思うように売れなかった。
そして、いまだに浮世絵に人気があることを知った博は、帰国後、木版画に転じる。
博は彫りや摺りの技術も習得し、職人を厳しく指導して、私家版の制作に乗り出す。
私家版としての作品は、アメリカの西部シリーズで始まった。
「グランドキャニオン」
グランドキャニオン.jpg


ナイヤガラ瀑布」、「モレーン湖」、「ユングフラウ山」、「スフィンクス」など、どれも
すばらしい木版画。
このスフィンクスは、昼だが、夜の一枚との対照が異国情緒に誘われる。

スフィンクス.jpg


博の水の表現は卓越したものがあると思う。
「渓流」、木版でこの表現!
渓流.jpg



第5章 新たな画題を求めて 1930-1937

博は54才で4度目の海外旅行に行く。アメリカは当時大不況下だったで、
ヒマラヤの山々へ憧れもありインドへ19歳の長男と共に出かけた。
インドではイスラム建築に魅了され、絵画に幻想的な雰囲気を取り入れる工夫
をしている。帰国後、「東南アジア、インドシリーズ」の木版画を完成させた。
シンガポール、ラングーン、タージマハール、アジャンタ、ヒマラヤの山など、どれも興味深い絵だった。
印度と東南アジア フワテプールシクリ」
フワテプールシクリはインドのムガール帝国時代の都市。
モスクと思われる建物の中の人物を逆光で浮かび上がらせている。
明るい中庭、床の照り返しなど、光の表現が巧み。

ムガール.jpg

第6章 戦中と戦後 1938-1950

昭和12年、61歳の時、日中戦争が始まり、博は陸軍の従軍画家として中国に赴いた。
自ら志願したとのことである。「急降下爆撃」、「空中戦闘」という戦闘機の絵では、
川端龍子の「香炉峰」と同時代だなぁと思った。
木版画の制作は減り、製鉄所や造船所で働く人々を描き、展覧会に出品した。


戦後、下落合のアトリエが広かったので、進駐軍に接収されそうになったが、画家にとって
アトリエは大切と英語で述べ、接収を免れた。戦前から博の木版画はアメリカで人気が
あったため、吉田邸は進駐軍関係者が集った。博は彼らを迎えてもてなし、木版画の制作工程
を実演してみせ、作品を売った。
体力の衰えもあり、戦後の木版画は1枚だけである。
博の跡を継ぎ、長男、次男共に版画家となり、活躍している。


この展覧会は、前期・後期と分かれ、前期のみ66点、後期のみ66点なので、8月1日からの
後期にも足を運ばないと、と思っている。



 ※ yk2さんが、「吉田博展」の記事を書いてらっしゃるので、おすすめです。
第1回は、アンリ・リヴィエールの紹介
http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2017-08-02

第2回が、吉田博とアンリ・リヴィエールと同時代の日本の版画作家たち
http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2017-08-04

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川端龍子展 [展覧会(日本の絵)]

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今年は川端龍子(1885~1966)の没後50年、山種美術館で回顧展が開かれている。
サブタイトルは、「超ド級の日本画」。
見に行くまでは、このタイトルがあまりいいものに思えなかったが、見終わった後には、まぁそうだな
と納得がいった。


日曜日の午後、暑い日、友達と渋谷で待ち合わせてタクシーで行った。
いつもは、恵比寿から歩いて行くのだが、暑いのでタクシー。730円。近い。

朝のNHK「日曜美術館」が、この展覧会の特集だったので、混んでいるかと思ったが、
そんなことはなかった。

第1章 龍子誕生ー洋画、挿絵、そして日本画
龍子とは、龍の落とし子の意味で、本人がつけた画号である。
初めは洋画家を志し、白馬会洋画研究所などに学び、文部省美術展覧会に入選。
生活の糧を得るため、新聞や雑誌の挿絵を手がけた。このジャーナリズムでの
仕事の経験が、後に戦争という時事的な関心につながり、絵に表すこともあった。

28才で単身渡米、洋画を学ぼうとするが、日本人の洋画には関心を持ってもらえず、失意の
うちにいる時、ボストン美術館で見た日本の古美術に心動かされ、帰国後、日本画へ転向した。

独学で日本画を学んだ龍子は、30才で日本美術院展に初入選、2年後には門人に推挙された。
この時の院展の長は横山大観であった。36才の時、発表した「火生」
会場では、照明の下、赤く輝いて迫力がある。
火生.jpg

『火生』は日本神話の英雄「ヤマトタケル」を描いている。荒れ狂う金色の炎、火で赤くなった体。
剣を振り上げ、かっと見開いた眼で敵を見ているのだろうか。

このよう激しく荒々しい表現は、従来の日本画になかったので、これは家の床の間に飾るような絵
でなく、展覧会で見る絵であるという皮肉を込めて龍子の作品は「会場芸術」とよばれた。


第2章  青龍社とともに -「会場芸術」と大衆-

実際、龍子の作品には巨大なものが多い。屏風もサイズが大きい。
今回、大きくて驚いた作品はこれ、「香炉峰」
画面いっぱいに大きな戦闘機。
空を飛んでいるのだが、戦闘機がシースルーになって下の景色が見える。
操縦士は龍子本人。日本軍の嘱託画家として偵察機に乗り、香炉峰の景観を描いた
経験をもとにしているそうだ。眼下に七重の塔が見えたりしていた。
なぜシースルーにしたのだろうか?奇抜な発想。


香炉峰.jpg


「鳴門」1929年 幅8m38㎝

鳴門.jpg
海の青さと荒れる鳴門の渦潮の白の対比。龍子は、水の表現がすばらしい。
しぶきをあげて荒立つ白波。よく見ると、白の波に所々、金、銀が使われていて、立体的に見える
効果になっている。
会場では、屏風として、折った展示なので、見る角度で、実際に鳥が海の上を飛んでいるようだったり、
入江の島が迫って見えたりする。


「草の実」1931年

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黒地にススキや女郎花など秋の草花を金泥主体で描いた作品。
金を重ね塗りしたり、プラチナを使ったりと、秋の草花が装飾性高く描かれている。
じっと見ていると神秘的で、仏教的な崇高さが感じられる。
傑作と名高い東京国立近代美術館の「草炎」の翌年に描かれた作品。


「黒潮」1932年
「鳴門」と同じ群青色の海、広々とした海原をトビウオの群れが勢いよく飛ぶ。


「龍巻」1933年 
戦争の時代。日本領の島と米国領の島が混在する太平洋の波乱を象徴する作品。
正方形の大きな絵。
龍巻で、イカ・太刀魚・アカエイ・クラゲなどの魚が上からまっさかさまに下へ落ちていく。
サメだけが体をうねらせてこちらに向かってくる。ここでもくすんだ青い海中での波しぶき、
水の重量感の表現が装飾的で美しい。


「五鱗」1939年
鯉五匹、黒が四匹に赤一匹。嘴が円の中心になるように配置される。
画布の上半分を占めるさざ波、薄墨でさっと描いたようなさざ波が全体を引き締める。
やはり水の表現が巧みな画家どと思う。
「爆弾散華」1945年

爆弾散華.jpg

1945年8月13日、戦争の最中、東京大田区の龍子の自宅の菜園に爆弾が落ちた。
この画は、野菜が爆弾で吹っ飛ぶ瞬間を描いている。金色の破片は爆弾の閃光。


「百子図」1949年

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この年、インドから上野動物園に象の「インディラ」がやってきた。
戦争で象は処分され、長いこと、上野動物園に象はいなかったのだ。
子供たちは象を見たことななく、憧れだった。
インディラは芝浦港に上陸し、首につけ鈴を鳴らしながら深夜、上野動物園まで
9kmの道を歩いたという。憧れの象と戯れる子供たちのようすが描き込まれている。
新聞・雑誌の挿絵画家だった龍子ならでは、の作品。


「牡丹」1961年
花芯が赤く、少しずつ赤が拡散していき、外側の花びらは白という珍しい種類。
紅白のコントラストに緑の葉、と、色づかいがモダン。


第3章 龍子の素顔 -もう一つの本質-
龍子の異母弟に俳人の川端茅舍がいて、龍子も20代の頃から俳句も嗜んでいた。
龍子の俳句を短冊にしたものが、10点ほどあり、書も上手い。
「十二支の年賀状」は、同行の友達が「うわぁ、こんなのもらいたい」と言っていた。

「鯉」 1930年 対になった絹本彩色屏風。
「春草図雛屛風」琳派風の小さな金屏風。
「松竹梅のうち 竹(物語)」1957年 年をとってからは、伝統的な日本画を描いていたと伺える。
「カーネーション」は、やさしい絵。制作年代不詳だが、晩年の作だろうか。
「十一面観音」 龍子は、晩年、自邸に持仏堂を設け、信心深い日々だった。


会場の最後に展示されているのは、大きな屏風「真珠」1931年
これだけ撮影可能と書いてあったので、スマホで撮った。大きいので一部になってしまうが、
雰囲気だけでも。
真珠.jpg


龍子が若い頃、アメリカで感銘を受けたというシャヴァンヌの壁画の神秘性と言われると、
ま、そうだなぁと思う。
山種美術館は、さほど広くないので、さくっと見れて、パワーをもらえる海の絵もあり、
夏の疲れを癒すには、おすすめです。会期中、入れ替えが少しあります。

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鈴木其一展(後期)サントリー美術館 [展覧会(日本の絵)]

サントリー美術館でのKIITSU 鈴木其一展は、前期と後期で作品の入れ替えがあった。
それも大幅な入れ替えで半分以上が替わるときいて、「それなら行かないと、、朝顔ももう一度
見たいし」」と、会期もあと2日という金曜日の夜、仕事帰りに行った。

10/30で東京展は終わってしまったが、兵庫、京都と巡回するので、載せることにした。

後期の注目作品は、
「夏秋渓流図屏風」 六曲一双 根津美術館
檜の木の緑と渓流の青に目を奪われる。実際に、こんなに青い水があるだろうか。
右隻は夏景色で、白い山百合と蝉、左隻は秋景色で紅葉した葉が描かれている。
きめ細かく描かれた檜の葉に対し、笹の葉は大まか。至る所に貼りついた点苔が
光り、森の中の妖しさを際立たせる。かなりの水量でこちらに向かって流れてくる
渓流も大胆で動きが感じられる。
秋草渓流屏風左.jpg

秋草渓流屏風.jpg


もう一つの注目作品は、
風神雷神図襖」 八面 東京富士美術館蔵 (ここに風神は図なし)
宗達、光琳、抱一と受け継がれてきた「風神雷神」。
元は真ん中二面の屏風だったものを左右に余白を加え襖とした。
墨の勢いがすばらしい。
これと「朝顔図屏風」の構図は似ていると、某TV番組で言っていたと同行の友達が
教えてくれた。

雷神.jpg


其一は、40代後半に家督を息子の守一に譲り、琳派に写実を加え、大胆さもある
自由な作風を追求した。


「鶏に菊図」 個人蔵
縦横共に1mを超える大きな絵。
雌雄の鶏と花という主題は、若冲の絵を想い起す。
若冲の場合は鶏が目立っているが、こちらは円弧を描いたような白い菊の花のみごとさ
にも目がとまる。若冲は其一より80年前の人気作家なので、其一は若冲作品を意識して
描いたのだろう。若冲に比べると華やかさはないが落ち着きがある。
「祝琳」という印章が押されているので、大名とか豪商からの祝い事で
依頼された作品。白い菊は長寿を表し、夜明けを告げる鶏は徳の高い吉祥の存在。

鶏と菊花s.jpg

「藤花図」 出光美術館蔵
横120㎝、縦約170㎝の大きな画面いっぱいに描かれた藤の花。
しかも藤の花の色は青。異次元の世界で幽玄な雰囲気。元は仏間の襖絵であった。
藤の花は「来迎図」で阿弥陀如来が乗ってくる紫雲に見立てたものだろうか。
背景にまかれた茶色の点は、元は銀砂子だったので、銀色を背景にした青い藤の花の
幽玄さは譬えようもなく美しかったであろう。見入ってしまった絵。

青い藤.jpg

「藤花図」 個人蔵
前期に展示されていた「藤花図」(細見美術館蔵)を気に入っているので、今回、
これを見るのを心待ちしていた。
細見美術館のものより花の色が紫っぽく、後ろに白藤がある。
藤の花を長く垂らす構成は琳派の先達に倣ったものと言われるが、其一の藤の花は
花びら一つ一つを付け立て技法で鮮明に描き、実に美しい。

藤の花個人蔵.jpg

「朴に尾長鳥図」 細見美術館
朴(ホオ)の木は日本原産だが絵に描かれることは珍しい。
たらし込みを用いた大きな葉の表現がみごと。
花の黄色いしべの上にある青い色が画布中央で絵を引き締めていた。

朴に尾長.jpg

「雪中檜図」 個人蔵
檜に雪という画題は師の抱一の「12か月花鳥図」でも時々描かれている。
しかし、枝に積もった雪がまさに落ちる瞬間をとらえた絵は其一が初めてである。
滝のような落ちる雪。積もった雪の形が地図のようで面白い。

雪.jpg

私の好きな作品ばかりを紹介したので、花の絵がほとんどだが、其一は達者で何でも描けた。
絵描きとして生活していくため、絵を買ってくれるお得意様の注文に応じ、仏画、能絵、節句掛け
などいろいろなものを描いた。

「達磨図凧」 個人蔵
達磨の図絵は江戸凧ではよく取り上げられた画題だった。しかし多くは、ざっと描いたものだったが、
これは胸毛まで描くほど写実的だが、表情に可笑しみがこめられている。線描に金泥添えられ華やか
な仕上がりになっている。

達磨凧.jpg

「大江山酒呑童子図」 ファインバーグ・コレクション
源頼光らによる大江山の酒呑童子退治の伝説は、絵巻に取り上げられ、浄瑠璃や歌舞伎にもなった。
この絵で酒呑童子は、桜の季節、滝を眺めながら女性2人を侍らせ、虎の敷物の上で酒を飲んでいる。
画面下で洗濯をする女性は、この後、頼光らが鬼退治に来たときに道案内をする役目。
酒呑童子の顔は、国芳ふうの武者絵に通じる描き方。滝から続く渓流は、「夏秋渓流図屏風」の手法。

大江山酒呑童子.jpg


其一が「描表装」で人気を得たことは、前期の記事でも紹介したが、これは親子の合作。
其一が月に雁を描き、秋草の表装部分を息子の守一が手がけた。守一は優しい画風。
「月に秋草図」 鈴木其一・守一 個人蔵

描き表装秋.jpg

「石橋・牡丹図」 鈴木守一
其一は大名能を広く知らせるために能を題材とした絵をいくつも描いた。
守一も跡を継いで、能の絵の作品を残している。
中央に獅子頭をつけて踊る能役者、左右に咲き誇る大輪の牡丹を描いた三幅対の作品。
牡丹の花の写実が素晴らしい。精緻な筆の冴えに優しさが加わっている。

石橋と牡丹.jpg

其一は大名家の御用絵師であったが、商人のお得意様も多かった。
最大のパトロンであった油問屋の松沢孫八に宛てた手紙も展示されていて、
『こんな絵が出来ました、、』とか『こんなのはどうでしょう』、『先日は漬物をありがとうございました』などの下りがあり、読んでいると、なかなか如才なく商売上手だったことがわかる。そんな其一に親しみがわいたのは、
前期を見た後の後期展示で、いくつか見た絵があり、余裕があったからだろう。


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鈴木其一展(サントリー美術館) [展覧会(日本の絵)]

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「鈴木其一」、その名前と作品を知ったのは、2006年「若冲と江戸絵画展」・プライスコレクション
でだった。最後の部屋が、光の演出ということで、ガラスケースなしで照明に浮かび上がる屏風
たちの展示。幽玄な雰囲気が感動的だった。中でも、其一の「群鶴図屏風」が、同じ色の端正な
鶴が左に9羽、右に10羽並んだ構図。デザイン性が強く現代的で素晴らしいと思った。
もう一つ、其一の「青桐・紅楓図」は、夏の雨(夕立)の青桐と秋の雨(長雨)の紅楓。色の対照も
すばらしいが、雨の表現の違いがとてもよかった。
というわけで、この展覧会で、俄然、其一に興味が沸いたのだった。

数年後の夏、ブログ友yk2さんのトップスキンが、青い朝顔が咲き誇る金屏風になっていた。
「誰の絵?」とたづねたら、其一という答えだった。
其一は抱一の弟子なので、琳派や抱一の展覧会を見に行くと、必ず何点か作品が出ている。
しかし、今回は、「其一」が主役の展覧会。始まるのを楽しみにしていた。

会場、入ってすぐは、「江戸琳派の始まり」というタイトルで、其一の師、酒井抱一の作品。
ここ数年、抱一の展覧会をいくつか見て来たので、見覚えのある作品が多いが、
いつ見ても優美! 「白蓮図」、「桜に小禽図」、「槇に秋草図屏風」、どれも細見美術館蔵。

其一は18歳で抱一に弟子入りするが、既に絵は達者であった。4歳年上の抱一の最初の
弟子「鈴木蠣潭(れいたん)」の26才という若さの急死で、鈴木家の家督を継ぐ。
蠣潭(れいたん)の作品も今回、いくつも展示されている。中には抱一と思えるほどの達者な
作品もあった。

ぱっとそこだけが明るくなる金屏風。
「群鶴図屏風」 ファインバーグ・コレクション 
鶴の向き、姿勢がそれぞれで動きを感じさせる。一羽、一羽、緻密に描かれている。
描かれた当初は襖絵だった。

群鶴図屏風ファインバーグ.jpg

其一が33歳の時、師の抱一が亡くなり、養子の酒井鶯蒲が跡を継いだ。
其一は彼を支えながらも、独自の作風を展開していく。宗達・光琳の作風を
尊重しながらも大胆にアレンジした作品「風神雷神図襖」(後期10/4からの展示)
「三十六歌仙・檜図屏風」を制作した。

36歌仙檜図.jpg

切れてる画像で申し訳ないけれど、八曲一双という横長屏風なので、入りきらない。
華やかな三十六歌仙が優美に大和絵ふう描かれた右隻、それに対し墨一色で
描かれた左隻の檜の幽玄さ。素晴らしい。光琳画題の三十六歌仙と檜図という異なる
2つを一対にしてしまうのが面白い。

kamo.jpg

高さ76センチの「水辺家鴨図屏風」も可愛い。

4面の襖絵「萩月図襖」も良かった。月明かりのもとでの萩の白い花が光を受けて
輝いている左側。余白がたっぷりの画面に大きな月。右側から薄紅色の花の萩の
枝が伸びる。秋の情緒に余韻が残り、絵の前を離れ難かった。

木蓮.jpg

「木蓮小禽図」も良かった。木蓮の色はワインに近いほどの濃い紫。
木蓮のみごとさに目を奪われ、鳥がどこにいるのか探すほどだった。

其一は40代後半で家督を長男の守一に譲り、さらに多様な作風へ挑戦していく。
この展覧会の目玉作品「朝顔図屏風」もこの時期に制作された。

「藤花図」
真直ぐに垂れ下がる3本の花。細い蔓が花の後ろでS字を描いている。
近くで見ると、花のひとつひとつが実に丁寧に描かれていて感心する。

藤の花400.jpg

「花菖蒲に蛾」も良かった>
花弁の搾り模様や筋目線、特徴が丁寧な写実で描かれ図鑑のようだが、
蝶でなく蛾が飛んでいるのは、、。

花菖蒲_きいつ.jpg


仏画、能の絵、描表装は、大名や豪商から注文があったそうだ。
其一といえば描表装と浮かぶほどで、節句図や正月図が人気があり、需要が多かった。
「三十六歌仙図」 出光美術館蔵 は、見る機会が多い。

「夏宵月に水鶏図」は、描表装部分に紫陽花、撫子、立葵が描かれ、
紫陽花には雨が降っている。満月の下に水鶏がたたずむという静かな世界に対し、
かなり派手な表装という対比が面白い。円熟した年代だからであろう。
この描表装が、今回の図録の表紙に使われていた。

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最後は今回の目玉作品「朝顔図屏風」、メトロポリタン美術館蔵なので見る機会が少ない。
左隻、右隻、2つ揃っての大きさに圧倒される。花ひとつがお椀くらいの大きさがあるのだから、
その迫力は推して知るべし。

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其一は63才でコレラのため亡くなった。同じ年、広重もコレラで亡くなった。


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広重ビビッド展 [展覧会(日本の絵)]

サントリー美術館で開催中の「広重ビビッド」展。何がビビッドなのか、って色です。
広重作品の初刷りのものばかりなので、赤や青の色が驚くほど鮮明、まさにビビッドです。
とってもおすすめな展覧会なのですが、12日までです。

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チラシに使われているこの絵は、「亀戸梅屋敷」。ゴッホが模写した作品。
ゴッホは、「名所江戸百景の大はしあけたの夕立」も模写をした。

今回の展覧会は、日本全国津々浦々の名所を描いた「六十余州名所図会」が第一の
見どころ。刊行されたのは、1853年から1856(安政3年)頃。
会場に入ってすぐは、「阿波 鳴門の風波」。図下の渦潮部分に目が行く。
白波に対し、海の水の色は、よく見ると青、水色、藍色、群青色、紫っぽい青、ワイン色と、
様々な色が使われているとわかる。

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青だけでなく、赤の美しさにも息を飲まれる。
「尾張 津嶋 天王祭り」
天王祭りは500年以上の歴史を持つ祭で、提灯を飾った「巻藁舟」(まきわらぶね)
の半円形の部分には、365個の提灯が飾られ、笛の音と共に巻藁舟は巡航した。

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「甲斐 さるはし」
甲斐の猿橋は、橋脚のない橋で、日本三奇橋のひとつと言われている。
広重は、これを描くために、橋より上流に足場を据えて描いた。
「山高くして谷深く、桂川の流れ清麗なり。。。絶景、言語にたへたり」と
旅日記に記されている。殺がれた岩。川に張り出した桜の木。遠景の山の
色合いも美しい。

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広重は、色の美しさだけでなく、構図も面白い。
「美作 山伏谷」(岡山県久米郡美咲町)
雨の強さを帯のように表現している。強風で歩く人の笠は飛ばされているが、川には
一隻の小舟。そそり立つ岩。

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広重は各地を全て訪ねて描いたわけではなく、ネタ本を参考に描いたものもあるので、
そのネタ本も展示されていた。

今回の作品は全部、日本化薬の社長を務めた実業家、原安三郎氏の所蔵品。
どれも初摺りの早い段階のもので、摺りに広重本人の意図が反映され、保存状態も
良好なので、ビビッド。

初摺りと後摺りの違いを比較できるよう2つを並べたものがあった。
「江戸 浅草市」初摺りが左、後摺が右
後摺りでは雲の部分の摺りの回数を減らしていることがはっきりわかるし、木を描いてる
墨線が薄れている。初摺りは、版木の板目を活かした絵になっているものが多い。

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「六十余州名所図会」と揃いと言われているのが、「名所江戸百景」。
江戸なので、私には馴染みの場所が多い。
「深川萬年橋」
萬年橋なので、「亀は万年」にかけて、旧暦の8月15日にここで亀が売られた。
しかし、実際、こんなに亀が大きいはずがない。主役を誇張した大胆な構図。
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他にも誇張法が使われているものは多かった。
チラシの亀戸梅屋敷もそう。手前の梅の木の大きさに比し、後景の白梅は小さい。


「王子装束ゑの木 大晦日の狐火」 王子に伝わる狐火の伝説をもとにした作品。
闇夜に狐火を灯して狐たちが集う様は幻想的。

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約160年前の江戸。京橋、赤坂、愛宕山、上野、日暮里、芝増上寺、品川御殿山、目黒、
どれも、今とは全く異なっているが、「井之頭の池、弁天の社」は変わらぬ景色だった。

広重の他に、北斎の「千絵の海」10図がまとめて展示されていた。
「千絵の海 五島鯨突」
九州の五島列島では、古くから鯨捕りが行われていた。
50隻近い船を操るのは、左上の小屋。これから銛が投げ込まれるのだろう。
鯨の水しぶきの大きさが鯨の動きの荒さを示している。鯨の眼はこちらを威嚇するかの
ようににらんでいる。
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「千絵の海 総州銚子」
荒い波の大胆な動き。「神奈川沖浪浦」の波よりも動きが速いさまが波に乗せられた
船からも伺える。

北斎の「富嶽三十六景」からの有名な「神奈川沖浪浦」「凱風快晴」「山下白雨」の
3点が並んで展示されていた。


さくっと見れるだろと思ったのは大間違い。混んでいないと思ったも間違い。
どの絵にも、丁寧な説明文がついていて、その場所の現在のモノクロ写真が
添えられていたので、それをじっくり読んだら、2時間はかかる。
じっくり読んでゆっくり眺めたら、旅気分にひたれただろうけど、かなりの混雑だった
ので、それは、敵わず。
とはいえ、こんなに綺麗な版画は初めて見たので感激。おすすめです。
金・土曜日は夜8時まで開館です。


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若冲展 [展覧会(日本の絵)]

東京では、この派手なポスター、見かけた人も多いと思います。
「若冲展」、会期もあと数日。GWには混雑ぶりが話題になりましたが、まだ混んでいるのでしょうか。
でも、一見の価値があります!

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若冲って?っていう人のために少々解説。
江戸時代に京都で活動した絵師、伊藤若冲(1716~1800)。
青物問屋の長男として生まれ裕福に育ち、家督を継ぐが、30才過ぎから絵にのめり込み、
画業に専念するため40才で弟に家業を譲り引退、仏の教えを学ぶ。
当時は狩野派の絵が主流だったが、若冲には、狩野派の影響は見られない。
「若冲ブーム」は、2000年に京都国立博物館で開催された展覧会以来で、東京では、
2006年に「プライスコレクション展」が開催され、人気は不動のものになった。

若冲は長い間、忘れられていたが、その良さを発見したのはアメリカ人のジョー・プライス。
プライスは大の日本びいきで、1ドル360円の時代に若冲作品を買い集めた。
私が若冲を知ったのも、プライスコレクション展であり、以来、いくつもの展覧会を見ている。
    皇室の名宝展(2009年)  京都 細見美術館展「琳派・若冲と雅の世界」展(2012年)
    若冲と蕪村展(2015年)

会場に入ってすぐが、鹿苑寺大書院障壁画の襖絵。全部で4面。
筆が緻密で水墨画の傑作。若冲が得意とする「葡萄」の「葡萄小禽図襖絵」に見入ってしまう。
上から垂れ下がる葡萄の葉と房、画面に伸びる蔓の線のみごとさ。力強い部分と先端の渦巻き
部分。ぶどうの一粒、一粒まで細かく描かれている。広い余白に静寂さを感じた。

今回、若冲愛好家の話題は、行方不明だった「孔雀鳳凰図」が展示されていること。
昨年、某家の蔵から発見され、岡田美術館所蔵となった。
これは、「鳳凰の図」で、「老松に孔雀の図」と対になっている。鮮やかな赤いハート型が尾に
付いている。鳳凰も赤白青と極彩色。
これらは、「動植綵絵」の「老松白鳳図」「老松孔雀図」に似ている。

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若冲は青物問屋の息子なので、野菜や植物を描いたら、天下一品。
左は玉蜀黍、右は隠元豆。
玉蜀黍には、よく見るとバッタがいる。隠元は、さやの周りの墨を濃くし、さやと中の豆を
目立たせている。下の方にちょこんと座ったカエルが愛らしい。
 
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若冲は、版画も制作した。
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さて、今回のメインは1階展示室、ぐるっと広い円形の部屋全部を使った展示はみごと。
主展作品50点中33点がここに集まっている。
正面にあるのが相国寺に寄進した「釈迦三尊像」の3幅。

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そして、皇室所蔵の「「動植綵絵」。かなり大きな絵なので見ごたえがある。30幅展示。
若冲が10年かかって描いた連作30枚で、報国寺に寄進したが、明治時代の廃仏毀釈のために、
寺はこれを皇室へと献上。下賜金を得た。

30幅のうちの一枚「群鶏図」

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「老松鸚鵡図」

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2階に上がると、「菜蟲譜」が全巻広げての展示。野菜や果物が描かれている前半、
虫や両生類が描かれている後半も一気に観られる。
「乗興舟」

大阪の西福寺の「仙人掌群鶏図襖絵」も素晴らしい。金地の襖に鶏たちの共演。
そしてこの襖の裏は、「蓮池図」でモノクロ。表の鮮やかさと一転して寂しい光景。
花が朽ち、枯れていくさま。ここには静かな時間が流れていた。

2008年に北陸の旧家から見つかり話題となった傑作「象と鯨図屏風」も登場。
これは昨年、「若冲と蕪村展」で見たばかり。

ラストはプライスコレクション。
「虎図」」、「鷲図」などのほか、プライス氏が初めて購入した若冲作品「葡萄図」も
出品されていた。もちろん、有名なモザイク屏風の「鳥獣花木図屏風」もあり、
人気で人だかりだった。いつ見ても可愛い。

「動植綵絵」の作品保護から会期は僅か1ヶ月。巡回もなし。
水墨画が少なく、豪華な作品の連続だった。


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