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ベルギー奇想の系譜 [展覧会(洋画)]

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東急Bunkamuraザ・ミュージアムへ「ベルギー奇想の系譜」を見に行った。
ヒエロニムス・ボスに端を発する「奇想」、ブリューゲル展よかった~という友達から
「何か展覧会に行きましょう」と誘われたので、それなら、これでしょう!
ブリューゲル展(バベルの塔)には、ボスも出ていたので。

第1章 15~17世紀のフランドル美術
ヒエロニムス・ボス(1450頃~1516)は、ルネサンス期のフランドルで活躍した。
聖書に題材をとり、内容は訓話なのだが、幻想的で怪奇な絵のため、見た人に強い印象を残す。
今回、チケット(上の写真)やチラシに使われているのは、ボス工房の「トゥヌグダルスの幻視」
brugel400.jpg


騎士トゥヌグダルスは、この絵の左下にいる赤い服の人。後ろに守護天使が立つ。
彼が見た地獄における「七つの大罪」がここに表されている。
たとえば、右上の赤いベッドに横たわっている人は「怠惰」。その下の丸くて白い家の中に
いる剣がささった人は「激怒」、激怒した兵士に殺された。その横、大量の酒を飲まされている
人は「大食」、中央の人は、賭け事を表す四角いサイコロの上に座ったので腹をさされた「邪淫」
こんな具合に説明を読みながら、七つの大罪を探り当てるのは、友達と一緒だから楽しい。
「寝るのが怠惰だったら、私、怠惰だから、地獄行きかも~」なんて言いながら。
閉館前の時間で、すいていたから、目の前でじっくり見れたし、ひそひそ話せた。


「聖クリストフォロス」 ヤン・マンディン 制作年不詳

聖クリストフォロス.jpg

これも不思議な絵。右手前の巨大な修道女のは下が建物になっていて娼館。
中央に杖を持ち立つ人が、川から上がるクリストフォロス。幼子キリストを肩車している。
小さな男の子が、川を渡りたいというので、御安い御用とおんぶして川を渡り始めたクリストフォロス。
ところが、川の中を一歩進むごとに子供が重くなってくる。あまりの重さに、この子はただ者ではない、
と気付き、名前をたずねると、イエス・キリストであると明かした。キリストは全人類の罪を背負って
いるから重いのである。
岸に降り立つと、目の前にあるのは娼館で、何人もの人が出入りしている。
巨大な娼館は、「聖アントニウスの誘惑」にも描かれていた。
「聖アントニウスの誘惑」は、人気の主題だったので、この展覧会でもボスのを含め
5点、展示されていた。見比べることができるので、面白い。
ちなみに「聖クリストフォロス」も3点あった。

ブリューゲルは銅版画が17枚出ていた。七つの大罪7枚と、七つの徳目のうちから4枚。
「大きな魚は小さな魚を食う」
大きな魚は小さな魚を食う - コピー.jpg
大きな魚が小さな魚を飲み込んでいる様子というより、吐き出してる感じがするのだが。
ユーモラスに描かれている。魚が空を飛ぶのは、ボスからの引用だが、遠景にアントワープと
わかる大きなクレーンがある港を描きこんでいるので、人気があった。

ブリューゲルは、第二のボスと言われていたそうだ。ボスふうの絵に日常性を加えたのが
ブリューゲル。アントワープの景色を描きこむなど、その例だろう。

「聖パウロを訪ねる聖アントニウス」 ダーフィット・テニールス(子)
聖パウロをたずねる聖アントニウス.jpg
これは奇怪ではない落ち着いた絵。
聖アントニウスは90歳になったとき、113歳で洞穴で隠遁生活を送る聖パウロを訪ねた。
その時、鳩がパンを持って舞い降りた。


ルーベンス原画の銅版画も7枚。「ライオン狩り」など、さすがルーベンス。迫力が違う。



第2章 19世紀末から20世紀初頭のベルギー象徴派・表現主義

時代は、一気に19世紀末になる。

再び「聖アントニウスの誘惑」が登場。1878年、フェリシアン・ロップスの作品。
フロベールの小説「聖アントニウスの誘惑」に題材を得たそうで、画面中央の十字架にかかる
のは豊かな肉体の裸婦。キリストを脇に押しのけて、自分が十字架に。十字架の上のINRIと
いう文字がEROSに代わっている。十字架の前で頭を抱えて卒倒しそうな聖アントニウス。

同じくロップスの「舞踏会の死神」は、死神として骸骨になった女が白いガウンを着て恍惚の
表情で踊っている。白いガウンは、カソリックの司祭がミサで着るもの。ロップスは教会の
権威に反抗し、この絵を描いた。


これもフェリシアン・ロップス 「娼婦政治家」 1896年 多色刷銅版画 
娼婦政治家.jpg

奇妙な絵ですよね。
娼婦の女性は豚を連れ、足元には、彫刻、音楽、詩、絵画と書かれた擬人像がある。
つまり、娼婦と豚はこれらの芸術を理解せずに踏みにじっている。政治家を娼婦に譬えて批判した。


「ブリュージュにて、聖ヨハネ施療院」 1904年頃 フェルナン・クノップフ
施療院の建物と運河のみの静かな風景。絵の写真は、ここ

「レテ河の水を飲むダンテ」1919年 ジャン・デルヴィル
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この絵はどこかで見たことがあるのだけど、どこだったのか思い出せない。
姫路市立美術館所蔵だから見る機会があったのだろう。 → ここBunkamura での展覧会でした。
ダンテの「神曲」に、ヒントを得た作品。冥界を巡り歩いているダンテ。レテ河の水を飲むと、
前世のことを忘れるときき、過去の恋を忘れるために水を飲もうとしている。


「運河」1894年 ウィリアム・ドグーヴ・ド・ヌンク
横に長い絵。水をたたえた夜の河。向こう岸に等間隔に立ち並ぶ樹木、廃屋のような建物。
人の気配がなく静かで幻想的。


骸骨で有名な画家ジェームズ・アンソールは11点の展示。
「オルガンに向かうアンソール」1933年
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オルガンの向こうの大きな窓の外に大勢の人が、お祭り?と見えたが、解説を読んだら、
若き日の大作「キリストのブリュッセル入城」1888年を描き込んでいるそうだ。アイディアが面白い。

第3章  20世紀のシュルレアリスムから現代まで


「海は近い」 1965年 ポール・デルヴォー
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まさに幻想の世界。
デルヴォーの絵には、汽車と裸婦がよく登場する。


「大家族」 1963年 ルネ・マグリット
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薄暗い海に突然現れた明るい青空と夏の雲を背負った鳥。
この鳥は、家族愛を象徴するカササギで、ブリュッセル郊外ではよく見かけられる。
これとよく似たもっと明るい色合いのものは、今はなきベルギーのサベナ航空の
シンボルマークとして使われていた。

マグリット作品は10点だが、マグリット!と思わせる良いものがない、と思ったら、
日本の美術館蔵のものばかりだった。


ここからあと、現代美術が面白かった。

マルセル・プロータースの作品 「マウスが『ラット』と書く」mouse écrit le rat 1974年 活版印刷
「マウス」が自分の手の影を壁に写して「ラット」*を書くつもりが「猫」になってしまった。
   *ラットratは英語でもフランス語でも大きなネズミ


「ティンパニー」2006~2010年 は、レオ・コーペルスの作品。ミクストメディア
筆を咥え吊るされた骸骨が、筆でドラムをリズミカルに打つ。笑えるけど、骸骨!
ベルギー芸術には死の陰や骸骨が多く表れる。地理的に各国にはさまれ、戦場になってきた
歴史があるからだろうか。

「プレッツェル」 2006年 ウィム・デルヴォワ
お菓子のプレッツェルが黒く丸い立体に。よく見ると、プレッツェルの棒の部分は、
磔刑にされたキリスト引き伸ばしたもの。「えーっ!」 ユーモア?ちょっとグロ。

絵画でも「磔刑図」1999年 リュック・タイマンス
神の啓示の光だそうで、画面から溢れ出る白い光が眩しい。

時代は1996年なのだが、入ってすぐの場所に展示されていたのが、
「フランダースの騎士(絶望の騎士)」 ヤン・ファーブル
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この写真ではわからないけれど、うさぎの耳を持つ頭の部分がキラキラ黄金色に輝いている。
それもそのはず、黄金虫の殻をびっしり挟み込んでいる!ホンモノでびっくり。
昆虫採集を思い浮かべるが、それもそのはず、ヤン・ファーブルは「ファーブル昆虫記」の
ファーブル先生の子孫。

この展覧会「ベルギー奇想の系譜」のサブタイトルは、「ボスからマルリット、ヤン・ファーヴルまで」
だった。17世紀から突然19世紀末までとんだが、ベルギー特にフランドル美術の奇想、というか
奔放な発想+ユーモア、根底にあるキリスト教信仰、これらを少し知ることが出来た。


9月24日まで。

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ランス美術館展 [展覧会(洋画)]

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友達Mが一緒に行ってほしい展覧会があるというので、「どこ?」ときいたら、
「新宿西口の損保ジャパン、ゴッホのひまわりのあるところなんだけど、ランス美術館展を
やってるの。フジタがたくさん出てるから」


入ってすぐにあったのがこの絵。顔だけが目立つ。背景の色と服の肩から袖部分がほとんど同じ色
なので、目をひく。ヨーゼフ・シマ 『ロジェ・ジルベール=ルコント』 1929年
シマは、チェコで生まれ、後にパリに出て、シュルレアリスムの作家たちと交流した。

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展覧会は、年代順の配置で、4つのセクションに分かれている。
1.国王たちの時代
2.近代の幕開けを告げる革命の中から
3.モデルニテをめぐって
4.フジタ、ランスの特別コレクション
「平和の聖母礼拝堂」のための素描


[1]国王たちの時代の絵は、肖像画が多い。
リエ=ルイ・ペラン=サルブルー 『ソフィー夫人(またの名を小さな王妃)の肖像』 1776年
ロココ調。ソフィー夫人はルイ15世の6女。マリーアントワネットの義理の姉なので、
アントワネット的雰囲気の豪華な服と家具。
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フランスが栄華を誇ったのは、アンリ4世に始まるブルボン朝の時代。
フランス人に「アンリ4世は偉大な王様よね」と言うと、大抵は大いなる同意が得られる。
アンリ4世の次の王様ルイ13世の肖像画があったが、色白細面の女性的な風貌に少々の違和感。
フィリップ・ド・シャンパーニュ(に基づく)『コルベ―ル』は、威厳を持って描かれ、偉大な政治家で
あったと伝わってきた。


[2]アントワネットの次の時代は、フランス革命の時代。
絵の分野は、優雅なロココ調に代わって、「新古典主義」の時代。
真打登場。ここで、この絵に会えるとは思わなかった。
ダヴィッド『マラーの死』 フランス革命の指導者マラーの死を取り上げたこの絵は人気が高かったので、
ブリュッセル美術館の作品と同じものを、ダヴィッドの工房でいくつか再制作したそうだ。
手に持つ手紙は、暗殺者からのもので、1793年7月13日、Charlotte Corday と名前が記されていた。
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ダヴィッドの次の時代の絵画の主流は、ドラクロワに代表されるロマン派。
『ポロニウスの亡骸を前にするハムレット』 1854~56年
これは油彩画だが、ドラクロワは、当時発明されたリトグラフの技術を使って、1834年から
ハムレットの連作を発表し、好評だった。
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先月、西洋美術館で回顧展があったシャせりオーの絵も2枚あった。
『バンクォーの亡霊』 1854年 シェクスピアのマクベスの一場面。
ここには展示されてないが、シャせりオーはマクベスの別の場面も描いている。
展示されていたもう一枚は「とらわれの女」

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シャンパンで有名なポメリーの「ポメリー夫人の肖像」は豪華な服で美しく描かれていた。
一方、クールベ『彫刻家マルチェロ(カスティリオーネ=コロンナ公爵夫人)』1870年は、写実の
クールベなので、飾り気なく描かれていた。
コローの『川辺の木陰で読む女』1965年、
ブーダン『ダンケルク周辺の農家の一角』1889年
ドーミエ「画家」、カンバスの前に立つパレットを持った画家、自画像なのだろう。
アンリ・ファンタン=ラトゥール 『まどろむニンフ』は、霞がかった天空にいるニンフと天使たち。
著名な画家の作品が一枚づつ展示されていた。



[3]次のセクション「モデルニテをめぐって」は、1870年代印象派の時代からポスト印象派まで。
シスレー『カーディフの停泊地』 1897年 ポメリーの経営者家の所蔵作品。
カーディフはウェールズの首都。旅をしたときの作品だろう。

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ピサロ『オペラ座通り、テアトル・フランセ広場』 1898年 これもポメリーの経営者家の所蔵
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ゴーギャン『バラと彫像』 1889年
色の分割で画面を構成。花瓶の横にある小さな彫刻はゴーギャンがマルティニーク島での作品。
よく見ると、バラの花、ひとつ、ひとつは色が微妙に違う。このくすんだ色合いがとてもいいと思った。

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ぱっと会場が明るくなる大きな絵は、ドニ『魅せられた人々』 1907年
右側に海に連なる神殿風の建物。ヴェニスだろうか。横長のせいか壁画ふうでもある。

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ヴュイヤール 『試着』も良い絵だった。


[4]最後のセクションは、フジタのコーナー。
第二次大戦中に政府の依頼で戦争画を描いた藤田嗣治は、戦後、画壇から糾弾を受け、
日本に居辛くなった。1950年、フランスへ戻り、5年後にフランス国籍を取得した。
ランスは古くからシャンパンの町である。シャンパン会社「G.H.マム」の招待でランスを訪れた
フジタは、シャンパンのミュズレ(コルク栓に被せる金属の蓋)ためのバラの花の画を依頼された。
そして、フジタはランス大聖堂で洗礼を受け、洗礼名レオナール・フジタを授けられた。洗礼親は
「G.H.マム」の会長であった。

フジタは、「G.H.マム」の会長の援助で、「G.H.マム」の敷地内に「平和の聖母礼拝堂」を建立する。

平和の聖母礼拝堂」のためにフジタは壁画をフレスコで作成。この時、フジタは70才過ぎ。
礼拝堂を造りたいという信念があったから、体力も続いたのだろう。壁画を写真パネルで紹介。
さらにステンドグラスのための「聖ベアトリクス」の下絵、彩色した絵、太い黒の輪郭線を加えた
ステンドグラス完成品とプロセスがわかるようになっている。
「七つの大罪」の大きな絵も、デッサンと完成品の2つがあった。


チラシに使われている絵は、『マドンナ』 1963年
映画「黒いオルフェ」の主演女優を中央に、周囲に15人のアフリカ系ケルビムを描いている。
すべての民族の平和を祈るフジタの考えであろう。


『奇跡の聖母 』1964年 聖母マリアが盲目の女性の眼に指を当てている。
周囲には大勢の病人がマリアの奇跡の成就を待っている。美しく穢れない表情のマリア。

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これは絵葉書だが、著作権があるので、ADAGP Paris(フランスの著作権団体)の文字が入っている。


フジタとえば、ネコの絵を思い浮かべる人も多いだろう。それそれの猫の表情、見飽きない。

『猫』 1963年
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有名な画家の作品が1点ずつあり、地方都市の美術館という感じがした。
大きな感動はないが、親密さがあり、予想以上によかった。

後半は、フジタの礼拝堂に的が絞られているので、感動した友達は、いつかここに行きたいと
帰り道、ずっと言っていた。

シャセリオー展 [展覧会(洋画)]

シャセリオーの名前を初めてきく人も多いと思う。

下のチケットの絵のように、すばらしい腕前で、奥深い魅力がある。
私もルーヴル美術館に行くたびに、シャセリオーの絵には惹きつけられてしまう。
 その時の記事は、ここをクリック

37才で亡くなったため、絵の数が多くないことと、大作の「パリの会計検査院壁画」が破壊されたため、
誰でもが知っている画家ではないが、ギュスターヴ・モロー、シャヴァンヌに大きな影響を与えた。


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1、アングルのアトリエ

シャセリオーは、1819年カリブ海にあるフランス植民地イスパニョーラ島(今のドミニカ)で生まれた。
父はフランス人だが、母は現地の地主の娘で、シャセリオーが2歳の時、一家でフランスに戻る。
幼い頃から絵の才能を示し11歳でアングルに弟子入りした。

15才の時、スペイン絵画にも興味があったシャセリオーはルーヴル宮で、グレコの絵を模写した。
アングルが、「とてもよく出来ているから、ずっと持っているように」と言ったほどの出来栄え。
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16才の時の自画像
シャセリオーは、母がクレオール(植民地の原住民)なため、自分の容貌を好きでなかった。
そのため、一切、写真を撮らせなかった。自画像もこれ一枚だけである。
アングル風の古典的伝統に基づき、スペイン絵画の写実も取り入れた絵であるが、顔の右半分に
暗い影を描きいれているのは、心理描写なのであろうか。
容貌コンプレックスがあっても、彼は上品で会話が洗練されていたので、女性にもてた。

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当時の画壇は、新古典主義のアングルとロマン主義のドラクロワが、「静と動」、全く違う画風で
対立していた。ローマ賞を受賞したアングルは、政府派遣でローマに留学し、ローマから弟子の
シャセリオーに計画中の作品に使う絵「サタン」をデッサンつきの細かい指示で命じた。
シャセリオ16才の作品「サタン」
指定された黒人モデルを使って筋肉がはっきりわかる力作。背景の青空や岩はシャセリオーが加えた。

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19歳のシャセリオーは、内務省からの注文で聖堂の祭壇画を作成した。
これは、その習作で、「十字架を抱く天使」
落ち着いた静けさと優美さがある絵。

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アングルは、ローマに8年も滞在した。
同行を誘われていたシャセリオーだが、この祭壇画の謝礼でようやくローマへの費用ができた。
しかし、パリにアングル不在の時期が長かったので、その間に、シャセリオーはアングルが嫌っていた
ドラクロワに傾倒。ローマに出向き、アングルに決別を告げた。

(2)ロマン主義へ

21才 「アクタイオンに驚くディアナ」
水浴中のディアナの姿を見た漁師アクタイオンは鹿の姿に変えられて、猟犬たちに噛み殺される。
背中を見せているのはディアナ、頭に三日月がついている。鹿の姿になったアクタイオンは遠くで
犬に襲われている。ニンフたちは驚きの表情。
題材を神話にとり、色彩豊かで、動きのあるドラクロワ風の作品。

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26才 「アポロンとダフネ」
アポロンの求愛を逃れるため、ダフネが月桂樹に姿を変える場面が描かれている。
流れるような曲線のダフネの体はすでに樹木化が始まって足元は木である。
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31才 「泉のほとりで眠るニンフ」

シャセリオーの代表作のひとつ「海から上がるヴィーナス」、「エステルの化粧」でももそうだが、
シャセリオーの裸婦は両腕を高く揚げているものが多い。このポーズは胸が綺麗に見えるし、
体の曲線がよくわかる。
ここでの裸婦は、クールベのような写実的な表現で描かれている。モデルは当時パリで一番美しい
裸体と言われた女優アリス・オジー。アリスとシャセリオーは恋中になり、アリスがどうしても、
『アングルから手放すなと言われたエルグレゴの模写』をほしいとねだるので、シャセリオーは
それを渡してしまう。しかし数か月後、友達も同席しての昼食会で、アリスが「手放すな」の一件を
茶化したので、激怒したシャセリオーは、絵の画面をナイフで切りつけ、二度と彼女とは会わなかった。
後年、年老いたアリスは、この絵を見てすすり泣いたそうだ。
かなり大きい絵なので、インパクトがある。

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3、肖像画

かつての師アングル同様、シャセリオーは肖像画も得意だった。
アングルが注文の肖像画を多く制作したのに対し、シャセリオーは親しい友人たちを描いた。
シャセリオーの交際範囲は、上流階級の人の出入りするサロンが主だったので、当時の
有名人たちやパリの様子を肖像画と数通の手紙から知ることができる。

29才 「カバリュス嬢の肖像」

カバリュス嬢は、有名医師の娘で、母はスエズ運河を作った技師レセップスの姉である。
ユゴー、デュマ、ミュsッセ、バルザックらの文豪が出入りする家庭だった。
当時の流行の服で髪にはスイセン、手にはスミレの花束を持っている。
カバリュス邸を訪れたアングルは、この絵を見るなり、「色彩が眩しすぎる」とコートの袖口で
目を隠したという逸話もある。
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この展覧会では、肖像画は油彩、デッサンなど数多く展示されていた。


4、オリエンタリズム

北アフリカから小アジにかけての部分が「オリエント」と言われる地域である。
画家にとっては、オリエントは、エキゾチズムでインスピレーションが得られる場所であった。
シャセリオ―も27才の時、アルジェリアに旅をした。

32才 「コンスタンティーヌのユダヤ人街の情景」
ゆりかごが天井から吊り下げられている。それを揺らして赤ん坊を寝せる2人の女性。
平和な光景。女性のヴェールの軽やかさ、足元の光の描写に目が行く。

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34才 「左を向く白馬」(習作)
アルジェリアから帰国後、アラブ馬に魅せられたシャセリオーは馬の習作をたくさん描いた。
実際、シャセリオーの絵には馬が登場することが多い。
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5、建築装飾と宗教主題

シャセリオーは数々の教会や公共の建築物の壁画も手掛けた。
オルセー河岸にあった会計検査院の壁画は特に素晴らしかったが、パリコミューンで破壊されてしまった。


37才 「東方三博士の礼拝」
亡くなる年の作品。キリスト誕生のお告げを受けて馬小屋の聖母子のもとに訪れた東方の三博士。
マリアの顔は恋人マリー・カンタキュゼーヌ公女に似ているといわれている。そして本作は彼女が
所有していた。

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シャセリオーが亡くなった後、親しく行き来していたギュスターブ・モローは彼を偲んで
この絵を描いた。「若者と死」1881年  
中央に立つ若者は、シャセリオーの面影を宿す。元気いっぱいで、月桂樹の冠を被ろうと
しているが、右手には死を意味する黄水仙が握られている。背後に「絶命」を意味する剣を
持つ女性が忍び寄る。モローらしい象徴性の強い作品。
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ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ 「海辺の乙女たち」1879年
古代ギリシアの理想郷のイメージだが、中央の女性は、シャセリオーの「海から上がるヴィーナス」
の影響がみられる。シャヴァンヌは、シャセリオーの最後の恋人マリー・カンタキュゼーヌ公女を妻にした。
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新古典主義のアングルに学び、ドラクロワのロマン派に転向し、オリエンタリズムに
没頭し、のちのシャヴァンヌやモローの象徴派に影響を与えたシャセリオーの画業が
よく分かる展覧会です。アングルのデッサン、ドラクロワの絵、シャヴァンヌやモローの
絵も展示されています。

ティツィアーノとヴェネツィア派展 [展覧会(洋画)]

上野の東京都美術館に「ティツィアーノとヴェネツィア派展」を見に行った。
ポスターやチラシの絵の女性「フローラ」(1515年 ウフィツィ美術館蔵)
の美しさに見入ってしまう。手に持つのは花束。

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ティツィアーノ(1490~1576)は、イタリア・ルネサンスの時代の画家だが、
フィレンツェでなく、ヴェネツィアで活躍した。

フィレンツェ派とヴェネツィアの違いは、フィレンツェではフレスコ画が多いが、
ヴェネツィアは水の都で湿気が多いため、油彩画である。またフィレンツェでは
デッサンが重視されたが、明るい光のヴェネツィアでは色彩が重視された。

貿易で栄えたヴェネツィアでは、絵の注文は商人たちからが主だったので、
宗教画より娯楽性の強い神話の女神が人気があった。
チラシの女性「フローラ」も花の女神である。
このフローラ、私には現実の女性に見える。実際そばで見ると、細かく描かれた衣装、
美しい肌、きりりとした顔立ちに目が釘付けになってしまう。
なんと、これは、ティツィアーノ25才の時の作品!

次、大きな絵、美しい色彩に目を見張る。これは22才の時の作品。
画面いっぱいに描かれたキリストが実際にこちらに来るような迫力。
「復活のキリスト」 1510~12年 ウフィツィ美術館蔵

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このように若い時から、絵の上手さが評判だったティツィアーノなので、肖像画の依頼が殺到した。
神聖ローマ帝国の皇帝カール5世にも気に入られ、騎馬像、立ち姿と描いている。
(展示はなし)

「教皇パウルス3世の肖像」 1543年 ナポリ カポディモンテ美術館
パウルス3世は、英国のヘンリー8世を離婚問題で破門した教皇。
元気あふれていた教皇も年老いて、穏やかになり、しかし眼光厳しく。。
ティツィアーノは、人の特徴をつかむことに卓越していた。

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「ダナエ」 1544~46年 ナポリ カポディモンテ美術館
ギリシア神話の話。美しいダナエに近づくため、ゼウスが黄金の雨になり、
天井からダナエの上に降り注いでいる。黄金の雨は金貨で表されている
ので大粒。実際は大きな絵なので金貨が見えるが、この写真では見えにくい。
ダナエ、キューピッド共に視線の先は、金貨。

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「マグダラのマリア」 1567年 ナポリ カポディモンテ美術館

マグダラのマリアは罪深い女だったが、涙を流して悔悛したということで画題によく使われる。
最晩年の作品。ドラマティックな表現がマリアの表情からわかる。

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ティツィアーノは全部で7点の展示。

他に、ヴェネツィア派の画家たちの絵がいろいろ展示されている。
入ってすぐは、「聖母子コーナー」。
いろいろな画家の聖母子があったが、中でも色彩的に目立っていたのが、
ジョヴァンニ・ベッリーニ「聖母子」 1470年頃。 ヴェネツィア コッレール美術館
手摺の向こうに半身の聖母像を置く構図は、ビザンティンのイコンにならったものである。

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ジョバンニ・ベッリーニは、当時、ヴェネツィアで一番の画家だったので、
ティツィアーノは、10代で画家を志し、弟フランシスコと共にベッリーニに弟子入りした。
フランシスコの作品「聖母子とマグダラのマリア」も展示されていた。 

ヤコボ・ティントレット(1518~94年)はティツィアーノの弟子。
「レダと白鳥」 1551~55年 ウフィツィ美術館

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大きな絵。画面いっぱいの斜め構図で、椅子からずり落ちそうなレダ。
ギリシア神話:ゼウスが 美しいレダを誘惑しようと、白鳥に姿を変えて近づいている。
赤の布地と緑色との対比が印象的。


パルマ・イル・ヴェキオ(1480~1528年) もティツィアーノの弟子。 
「ユディット」 1525年頃 ウフィツィ美術館

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敵の将軍ホロフェルネスを酔わせて殺したユディット。首を取り、得意そうな顔。
ふくよかな体格で白い肌、金髪のために残忍さを感じさせない。


パオロ・ヴェロネーゼ(1528~88年)はティントレットと共に後期のヴェネツィア派を
代表する画家で、色づかいが美しい。優美さがある。
「聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者聖ヨハネ」 1565年頃 ウフィツィ美術館

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ヴェネツィア派は、知らない名前の人が多く、馴染みがないせいか、簡単に見終わって
しまった。ここに挙げた5点のティツィアーノ作品の素晴らしさを改めて感じる。


デトロイト美術館展 [展覧会(洋画)]

 デトロイト美術館には20年前に行った。でも何の絵を見たのか思い出せない。
記憶にあるのは、白亜の壮麗なアメリカン・ルネサンス様式の建物、エジプトコーナー、
立派なアトリウムのカフェ[喫茶店]。ロビーのディエゴ・リベラの壁画、デトロイトの自動車工場の
様子を描いたもの。それだけ。4~5時間いたのに。

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ゴッホの自画像(1887年)がチラシに使われている。
アメリカの公的な美術館に初めて収められたゴッホの作品。
力強く明るい色彩と激しい筆使いが特徴。

ゴッホの自画像と対角線の位置にあったのが、ゴーギャンの自画像(1893年)。

東京都美術館で開催された「ゴッホとゴーギャン展」と、この展覧会が重なっていた時期も
あるので、両方の展覧会を見た人は特に興味深かったと思う。

展示は4セクションに分かれている。
1、印象派 2、ポスト印象派c 4、20世紀のフランス絵画 

1、印象派

モネ 「グラジオラス」 1876年頃
夏の日の下で傘を差しているのは妻のカミーユ。
パリ郊外のアルジャントゥイユに住んでいた時の作品、

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ドガ 「楽屋の踊り子たち」 1879年頃

ドガ 「ヴァイオリニストと若い女性」 1871年頃
この時代に写真機が使われ始め、ドガも撮影をしていた。
これは、一瞬の情景を切り取ったスナップショットのような構図。
モデルはドガの妹らしい。ドガはベルト・モリゾ一家と互いの家で、時折、音楽と
会話の夕べを開催していたので、そんな折の一コマだろう。

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ルノワール 「白い服の道化師」 1901-02年
白がまぶしいほどに光り、ドレープがゆるやかに流れる。白いサテン地のピエロの服。
子供にはかなり大きいのが可愛い。モデルは次男ジャン。椅子に半座りのポーズがいいなぁ。

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ルノワール 「座る浴女」 1903-06年
ルノワールの浴女は作品数が多いので、時には、がっかりするものもあるが、これはすばらしい!
絵が華やいでいた。晩年、1900年以降の裸婦には、衣装が作品に描きこまれている。
ここでも左側に脱ぎ捨てられた帽子と服が見られる。

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カロリュス・デュラン 「喜び楽しむ人々」 1870年
肖像画や人物画が多いカロリュス・デュラン。時代の人気画家だった。
西洋美術館の常設「母と子」は好きな絵だが、それとは大いに違う動きのある人物。
笑う女性が実にリアル。印象派ではなく、それ以前のアカデミックな手法で描かれている。

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2、ポスト印象派

セザンヌ 「画家の夫人」 1886年頃
原田マハの著書「デトロイト美術館の奇跡」で主人公が会いたいと願っている絵がこれ。
mozさんの記事で紹介されているので、そちらをご覧ください。

セザンヌ 「サント=ヴィクトワール山」 1904-06年頃
セザンヌが描くサント=ヴィクトワール山の絵も何枚もあるけれど、これは、かなり近景。
横長ではなく肖像画のサイズのため岩山の存在感が高まっている。
幾何学的な表現の試みが手前の針葉樹林にはっきり見れた。

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ゴッホ 「オワーズ川の岸辺、オーヴェールにて」 1890年
この場所は、当時パリ市民が休日に魚釣りや舟遊びに訪れる行楽地だった。
力強いタッチ、木の葉の激しい描写と寒色系の表現。この絵を描いてしばらくして
ゴッホは37歳の生涯を綴じた。

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ルドン 「心に浮かぶ蝶」 1910年頃
落ち着いたオレンジ色の背景にさまざまな形の14の蝶が舞う。
心に浮かぶ蝶というタイトル通り、実際にいる蝶ではない。

ドニ 「トゥールーズ速報」 1892年
「トゥールーズ速報」という新聞のための広告ポスター。
女性の肢体、新聞紙が曲線、模様化された雲。アールヌーヴォー調。
女神のような女性が落とす新聞に手を伸ばす人々。

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ヴァロットン 「膝にガウンをまとって立つ裸婦」 1904年
ボナール 「犬と女性」 1924年 
縦長画面。食卓にすわるマルトは傍らの犬を見ていて顔は見えない。



3、 20世紀のドイツ絵画

カンディンスキー 「白いフォルムのある習作」 1913年
抽象画を描き始めて、数年しかたっていない頃の作品。右上に金色と青色のドームを
持つロシア教会が見てとれる。カンディンスキーは敬虔なロシア正教徒であった。

キルヒナー 「月下の冬景色」 1919年
冬景色なのに、こんなに明るい色合い。からまつの林はピンク色。
中央にぽつんと家がある。
不眠症に悩まされながら、アトリエの窓から見えた景色を描いた。
森や山岳などの自然に神秘性や崇高性を感じるドイツ的心性。

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マックス・ベックマン 「オリーブ色と茶色の自画像」 1938年
ベックマンの「ホルンを持った自画像」は、「ノイエ・ギャラリー」で見、記事にした。
松本人志に似てるとコメントをくださったかたがいたのを思い出す。

ココシュカ 「エルベ川・ドレスデン近郊」 1921年
ココシュカはオーストリア兵として第一次世界大戦に従軍した後、ドレスデンに移った。
ウィーンで修業したので、ウィーン分離派の影響を受けていたが、この絵のような
ドイツ表現主義的描写に移っていった。
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ココシュカ 「エルサレムの眺め」 1929-30年
古い建物や頑丈な砦からもエルサレムだなとわかるが、上の絵と異なり形状がはっきりしない。

ノルデ 「ヒマワリ」 1932年
少し萎れうつむき加減になったヒマワリ2本。たくさんの種がついているので、
次代への生命をつなごうとする瞬間。


4、20世紀のフランス絵画

モディリアーニ 「女の肖像」 1917-20年
楕円形の顔、長い首。恋人ジャンヌがモデルと言われている。

スーティン 「赤いグラジオアラス」 1919年頃
強烈な赤い色。強い筆のタッチ。印象に残る作品。

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マティス 「窓」 1916年
窓の線やテーブル、椅子の線が交差。ラジエーターの輪郭線と椅子の線が重なる。
空間は右奥の窓の外へとのびている。すべての形が響き合い、色の対比とハーモニー
が全体を調和させている。アメリカの公的な美術館に初めて収められたマティスの作品。

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マティス 「ケシの花」 1919年頃
華やかな静物画。背景は青い屏風。

ピカソ 「肘掛椅子の女性」 1923年頃
1920年代初めからピカソの絵の主流は古代やルネサンス美術に学んだ古典主義
になっていった。女性は古代の女神のように理想化された姿で描かれている。

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 ピカソ 「読書する女性」 1938年
恋人である写真家のドラ・マールがモデル。顔が歪み指が肥大したシュルレアリスム。
ドラ・マールは「泣く女」のモデルにもなった。


アメリカの主要な美術館は、美術に情熱を注いだコレクターに恵まれていることが多い。
デトロイト美術館には、ハドソンズ百貨店の創業者の家系のロバート・ハドソン・タナヒル
が個人で収集していたものが死後(1969年)寄贈された。今回展示されているマティス、
ゴーギャン、ピカソなどである。

[晴れ]名画揃いのとっても良い展覧会です。
展示点数が52と多くないので、疲れず、飽きずに見れますから、オススメ。
21日(土)までです。
 


クラーナハ展 [展覧会(洋画)]

東京・上野の西洋美術館で開催中のクラーナハ展に行った。
クラーナハは、長らくクラナッハと記述されていたが、原語に近い表記で「クラーナハ」が最近
使われている。クラナッハの方がドイツってすぐわかるのに、、と思うのだが。

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クラーナハの絵は、世界中、たいていの大きな美術館で、見かける。
下半身太りの裸体、冷たい目つき、鎖のような金のネックレスと特徴があるので、すぐわかる。
日本では今回初の展覧会。見に行くのを楽しみにしていた。

クラーナハは、今から500年前にドイツ、ザクセン地方で活躍した。
その頃、ドイツではデューラーが第一人者としての地位を確立していた。

1504年、クラーナハはザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公の宮廷画家にスカウトされ、
ザクセン公国の首都ヴィッテンブルグに居を移した。
顎ひげをたくわえ、金色の頭巾を被った選帝侯の肖像画も展示されていた。(fig1)
クラーナハは工房を構え、宮廷人・政治家などの肖像画や教会の祭壇画を制作した。
fig1 1515年
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「ザクセン公女マリア」(1534年)
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婚約を機に制作されたもので、ティアラに指輪4本、着飾っている。
ネックレス、立ち襟、コルセットの結び目などは当時の宮廷モードだったらしい。
服の袖の切れ込みは装飾的で、この絵に立体感を出している。
ピカソも本作品のポストカードを所持していたとのこと。

宮廷画家としてのクラーナハは、木版画の制作もまかされた。
木版画は大量生産が出来るので、フリードリヒ賢明公の宣伝のために流布された。
「聖母を礼拝するザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公」 1512年

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[クラブ][ダイヤ] 裸婦

クラーナハというと、あの独特のフォルムの裸体画を思い浮かべる人が多いと思う。
fig2 「ヴィーナス」1532年
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NHKの番組「日曜美術館」で、この裸体のおへその位置はあり得ないと実際の人物を
用いて試していたが、あり得ないところがいいのだと思う。首を異常に長く描いたり、
アングルの「パフォスのヴィーナス」然り。
暗い背景に浮かび上がるかのような細身の肢体。手には透ける布のヴェールを持つ。
高貴な夫人が、ぱっと服を脱ぎ捨てたかのように豪華なネックレス、髪飾りが光を放つ。

「アダムとイブ」1537年
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これよりずっと前、1509年制作の「アダムとイブ」の木版画も展示されていた。
木版画で流布した「アダムとイブ」だが、この絵も板絵で数多く作られた。
イブは右上にいる蛇にそそのかされ、リンゴを食べ、アダムにもすすめた。
りんごを手に持ち、「ほんとに、おいしいの?」と躊躇した表情のアダム。
左下の鹿がこちらをじっと見る目付きは何を意味してるのだろうか。

マルセル・デュシャンが、この絵を下にエッチングで「アダムとイブのイメージ」
を描き、パリの劇場での幕間劇に自らアダム役になった写真も展示されていた。

「泉のニンフ」1537年
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ジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」にそっくりの構図。
しかし、このヴィーナスは、fig2の立ち姿のヴィーナス同様、ネックレスや腕輪をつけ、
脱ぎ捨てたビロードの服を枕にしていて、古代のヴィーナスではない。
右側の木に弓と矢筒がかかり、ヤマウズラがいるので、狩りの女神ディアナの存在が
暗示されている。ディアナはニンフたちに「誰にも裸を見せてはならない」と命じた。
しかし、この奔放なニンフは、、、。

「ルクレティア」1510年
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クラーナハは数多くの「ルクレティア」を描いているが、私が好きなのは最初期のこれ。
表情に決意と気品がある。
最終段階での「ルクレティア」は、黒い背景でfig2ヴィーナスと同じような全身像。

[スペード][ハート] 女の力 誘惑する絵

老人と若い女という「不釣り合いなカップル」。
金品目当てに誘う女。のせられる男。老人の描写がリアル。

「サムソンとデリラ」1528年
美しい女性。赤いビロードの服の艶の表現がすばらしい。

「ロトとその娘たち」1528年

「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」1530年代
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あどけない表情のサロメ。母ヘロディアからの命令で首をもらっただけなのよ、
と罪の意識は全くない。こんな美しく可憐な女性が踊ったら、「褒美に何でも取らせるぞ」と
ヘロデ王が言ったのもわかる。

「ホロフェルネスの首を持つユーディット」1525年
チラシに使われている絵。
自分たちの町を乗っ取り、我が物顔に振舞っていた敵方の首領ホロフェルネス。
町を救うために、ホロフェルネスを酒に酔わせ眠らせ、首をはねた。
張りつめた面持ちの中に達成感と安堵感が見られる。冷たく見えるが美しい。
サロメのあどけなさと大いに異なる。

[天秤座][パスワード]ルターと宗教改革
フリードリヒ賢明公が創設したヴィッテンブルグ大学にルターは学び、後に教授となった。
ルターは、1517年に教会に、「教皇レオ10世の発行する免罪符への論題」をつきつけ、
教会の改革を目指したが、受け入れられず、破門された。そのため、カソリックとは袂を
分かち、プロテスタントとなった。

フリードリヒ賢明公はルターを応援し、クラナーハの描くルターの肖像画が広まった。
ルターひとりの肖像画もあるが、禁止されていた聖職者の結婚を世の中に認めさせるために、
ルターは妻との絵をクラナーハの工房で描かせた。

「マルティン・ルターとカタリナ・フォン・ボラ」 1529年
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フリードリヒ賢明公によって城に匿われたルターは、聖書のドイツ語訳を完成させ、
その挿絵をクラーナハが木版で作成し、出版人として印刷もした。

クラナーハの考案した絵画主題のうち一番の人気は
「子どもたちを祝福するキリスト」 1540年頃
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クラナーハ工房は、30点以上この主題の作品を制作した。どれも同じものはなく、
それぞれに改変が加えられている。

クラーナハ工房は、絵の寸法や構図を規格化し、定型化した人物像と風景モチーフ
を積み木のように組み合わせ変化をつけたので、制作は迅速で、量産できた。
クラナーハは経営者として近代的な合理化をし、ブランド管理を行い、経済的な成功
をなした。500年も前のことである。クラナーハ亡き後、工房は息子に受け継がれた。


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