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ゴーギャン錬金術師展(Gauguin l'alchimiste) [Paris  展覧会]

パリのグランパレでの展覧会は、質が高くすばらしいので、今回、パリに行くと決めた時、
まず、「グランパレでは何を?」と調べた。ゴーギャン展!いつもグランパレの展覧会は
かなり並ぶので、日時指定のチケットをネットで購入しておいた。


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今回のゴーギャン展は、錬金術師というサブタイトルがついているように、絵画だけでなく、彫刻、陶器、
グラフィック、装飾芸術など多方面に渡るゴーギャンの作品が展示されていた。
制作技法や使用素材も説明され、ゴーギャンの創作活動の変遷がわかるようテーマ別になっていた。


第1室、ゴーギャンの年代記
1848年、パリに生まれる。父は国民派のジャーナリストで母方の祖母は有名な社会主義者であった。
      
母方の先祖がペルー人だったので、一家はペルーへ移住しようとするが、航海の途中で

            父が亡くなった。
1854年、母は子供たちを連れて、フランスに戻り、父の実家のオルレアンに住む。
1865年、商船の乗組員となる。
1872年、母の知り合いの紹介で、パリの証券取引所に勤める。メッテと知り合い、翌年結婚
1874年、長男エミール誕生。1883年までに4人子供が誕生。
1876年、作品がサロンに入選。

1879年、第4回印象派展に出品。その後も出品したが、不評であった。
1884年、妻メットの国、デンマークに一家で移住するが、翌年、息子6歳を連れてパリに戻った。
            生活は困窮を極めた。
1886年、エルネスト・シャプレの工房で陶芸を始める。
      7月、ブルターニュ地方のポン=タヴァンで数日過ごし、エミール・ベルナールに出会う。
1887年、フランス領マルティニック島へ行くが、そこでひどい病気になる。パリへ戻る。
      ゴッホの弟の画商テオが作品を買い、客を紹介してくれる。テオの兄フィンセントに会う。
1888年、アルルで数か月間、フィンセント・ゴッホと共同生活をする。
1891年、理想の楽園を求めてフランス領のタヒチ島に渡る。タヒチの女性テハーマナと暮らす。
1893年、パリに戻るが、家族に受け入れられず、タヒチで描いた絵と彫刻も売れなかった。
           展覧会では、44点中11点が売れただけだったが、そのうち2点はドガが購入。
1894年、再びタヒチへ。タヒチの女性パウラと結婚、子供も生まれるが死去。
1896年、脚の痛みと鬱病で入院。前妻との長女死去の知らせを受け、失意のどん底へ。
1903年、死去


第2室 初期の作品

日曜画家としてスタートしたゴーギャンは、独学で学んでいた。
 「ゴーギャンの家の広間(カルセル街の画家の室内)」 1881年 オスロ国立美術館
中央に置かれた花が主役のように見えるが、後ろ姿の男はゴーギャン、オルガンを弾いているのが妻。
妻の後ろの棚の上にある陶器の置物はゴーギャンの作品だろう。

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「眠っている子供」1884年 個人蔵
色の美しさが目をひく。印象派の時代。大きな木製のジョッキは、ゴーギャンの制作。

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「あら、ここにもドガのバレリーナがあるわよ。どうしてかしら?」と友達が言うので、
ふり返ってみると、ドガの「舞台上のバレエのリハーサル」だった。
絵の傍に、ドガの踊り子に刺激を受けて、ゴーギャンが制作した木彫の箱(扇入れ)があった。

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木彫で制作した2人の自分の子供の横顔を装飾として貼りつけたキャビネット(家具)もあった。
初期の頃の木彫作品で、「パリジェンヌ」という優美なシルエットのものがあり、後のタヒチの
女性の木彫とは大いに異なっていた。


独学のゴーギャンだったが、後半、ピサロに教えを受けた。お互いに描いたデッサン。
左がピサロが描いたゴーギャン、右はゴーギャンが描いたピサロ。
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第3室 ポン=タヴァン 色彩の時代

ゴーギャンは陶器も制作していたので、自作の壺を眺める友人シャルル・ラヴェルを描いた絵
「ラヴェルの横顔と静物」1886年 インディアナポリス美術館


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ゴーギャンは、エルネスト・シャプレの工房で陶芸を始めた。
陶芸家ブラックマンがシャプレを紹介してくれたのだった。
当時、ブラックマンとシャプレは、日本風の陶器に模様を彫り、エナメルで仕上げ、金で輪郭をとる
技法に凝っていた。ゴーギャンは鳥、羊飼いなどブルターニュの自然を取り入れたモチーフを使った。
「鳥(がん)とブドウ、葡萄の葉付きの枝で飾られた花瓶」1887年 サンタモニカ・ケルトン財団
シャプレとの合作。

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エミール・ベルナールと一緒に、マルティニック島からブルターニュに帰った時に制作。
装飾はブルターニュとマルティニックを折衷。
「地上の楽園」 1888年 戸棚101×120×60.5cm  シカゴ美術館

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1886年から度々訪れているブルターニュ地方の小さな村ポン=タヴァンでの生活は、
キャンプのようだったが、ゴーギャンにとっては自然があふfれた憩いの場だった。
当時のブルターニュの人々は、白い頭巾、白い襟の民族衣装を日常着にしていた。

「ブルターニュの3人の少女の輪舞」1886年 ワシントン・ナショナルギャラリー
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そして少年たちは、裸で水浴をしていた。
「ブルターニュの水を浴びる少年」 1888年 ハンブルグ美術館

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この絵には惹きつけられた。大胆な色づかいと構図。水の色と波の様子に日本画を感じた。
「浪間にて」1889年 クリーブランド美術館

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同じモチーフでの木彫に多色塗り、部分部分はクレヨンの塗り
「ミステリアスであれ」 1890年 オルセー美術館

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ゴッホに招かれ、アルルにも出かけた。
「アルルの洗濯女たち」1888年 ビルバオ(スペイン) 美術館
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2016年に東京都美術館で開催された「ゴッホとゴーギャン展」に来ていた
「アルル、葡萄の収穫(人間の悲劇)」1888年も展示されていたが、ブルターニュの衣装の
女性がアルルにいるとの解説だけだった。
ゴッホの耳切り事件のことは、一切書いてなかったので、ゴーギャンの創作活動全般に影響を
及ぼすものでなかったのだろう。


[晴れ][牡羊座]

第4室 「タヒチでの生活」
タヒチでゴーギャンは、14才のタヒチ女性テハーマナと暮らし、彼女をモデルに絵を描いた。
旧約聖書「創世記」、アダムとイブのエデンの園追放の話に興味を持っていたゴーギャンは、
パリで「異国風のイヴ(1890年)」という絵を描いていたが、タヒチに来てから、テハーマナを
モデルに描いた。エヴァはたくましく、色彩は強い。赤い羽根のあるトカゲが蛇の代わり。
リンゴの代りが白い綿毛のような花びらの花。
えーっと、この絵、どこで見たんだったけ?と思ったら、日本でした!
「かぐわしき大地」(テ・ナーヴェ・ナーヴェ・フェヌア) 1892年 倉敷 大原美術館
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1898年に、これを少し変えて、「イヴ」という木版画(和紙を使用)にしたものも展示されていた。


第5室 「タヒチの神話からの作品」

タヒチで長年、口述で受け継がれてきた儀礼の伝統をゴーギャンは絵に表現した。
タヒチの女性たちにつきまとう不気味な死者の霊、左端に死者の霊が見える。

ベットにうつぶせに横たわっているのは現地妻のテハーマナ。
「死霊が見ている(マナオ・トゥババウ)」1892年 バッファロー市・オルブライト=ノックス美術

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「テハーマナの祖先たち(メラヒ・メトゥア・ノ・テハーマナ)」 1893年 シカゴ美術館
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ゴーギャンは、「ノア・ノア」(かぐわしい香り)というタイトルの本を執筆した。
1891年から93年までのタヒチでの日常生活を挿し絵を入れながら記録した本である。
今回、本「ノア・ノア」の実物が展示されていた。

絵を売るためにパリに戻ったゴーギャンだが、絵はあまり売れず、再びタヒチに戻った。
文明社会に侵されていない色彩豊かなタヒチは、ゴーギャンにとって地上の楽園だった。

ナヴェ・ナヴェ・モエ(聖なる泉、甘い夢)1894年 エルミタージュ美術館
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この絵は、原始そのものでなく、形が単純化されていて色彩が明るく美しい。
装飾的になってきたのだろう。

陶製のタヒチの女神「オヴィリ」 1894年 オルセー美術館
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ゴーギャンの墓の横には彼の遺志に従い、「オヴィリ」のブロンズ像が置かれている。

 第6室 「自分の装飾で」
1901年、タヒチを去り、マルティニック諸島のヒヴァ・オア島に「快楽の家 (La Maison du Jouir)」
を建てた。
原始的な題材を追い求めたゴーギャンの集大成の家で、玄関口はゴーギャンの木彫で飾られている。
会場に再現したものが作られていた。


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装飾的な手法を追い求めた晩年。豊かな自然をとりいれた大きな絵が最後に展示されていた。
「ルペ・ルペ(果物取り)」 1899年 プーシキン美術館
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世界中の美術館から集めた全部で200点以上の展示は、見応えがあった。
ひとつのモチーフをいろいろに変化させる、木彫にしたり、陶器にしたり、版画にしたり、
という反復のようすが、よくわかる展覧会だった。
この記事を書きながら、ゴーギャンのパワフルな制作意欲に改めて感心した。


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