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福沢一郎展 [展覧会(洋画)]

連休のある日、絵が好きな友達から「福沢一郎展、面白そうだから行きましょう」
と誘われた。興味があったけど、誘っても、誰も行かないだろうな、
と思っていたので、
渡りに船、早速、近代美術館に出かけた。
ちらし.jpg

福沢一郎(1898~1992)

群馬県富岡市に生まれる。東京帝国大学文学部に入学するが、学校にはあまり行かず、
朝倉文夫に彫刻を習う。1924-31年にフランスに滞在、彫刻を3年学んだ後、絵画に
転向。当時、フランスで流行していたシュールレアリスムを日本に紹介し、その後は、
社会批判を絵画で表現した。
晩年、文化勲章を受章。


●上のチラシの絵、「煽動者」1931年
パリ時代の制作。ヒットラーはすでにナチスを結成。この2年後に首相となるが、
軍国主義や粛清の暗い気配が夜の街を覆う。憲兵たちは慌ただしく街中を走り、
煽動者である中央の人物が、メッセージを拡声器で吐き出している。
実際にパリにいた福沢は、ヒットラーの下に団結しようとするドイツを批判的に
見ることができたのだろう。


Poisson de Avril.jpg
●「四月馬鹿」Poisson d'Avril  1930
エイプリル・フールのこと。フランスでは、「4月の魚」といい、魚の形をした
お菓子を食べたりするので、食卓の上や天井からさがった籠に魚が描かれている。
友達は常設でこれを見たから、福沢一郎を知っていると言っていた。
グラスでなく、食卓のキャンドルで乾杯しちゃうなんて、、、しかも、後ろの人は、
ワイングラスをどこまで傾けたらワインがこばれるか、ってやってみてる?グラスの
軌道が点線で表されている。
イラスト的なタッチだが、やはり画力がすばらしい。フランス的センスの絵。


展示は、ほぼ年代順。この後の帰国後は、作風が変わる。
福沢_牛.jpg
●「牛」1936年
明るいピンクの大地に驚く。牛は、雄牛で手前のは怖いほどの顔つきでこちらを威嚇。
奥にいる人間たちは、争っている。ここから向こうは争いの場だから来るなという意思表示
なのだろうか。
よく見ると、牛にはいくつか穴があいている。なぜ? 説明書きによると、
「これは満州国を表現。見かけと現実は違う。つまり日本から見たイメージと現地での
実際は違う。現地は穴だらけでぼろぼろ。牛は威嚇でなく、苦痛の表情なのだとわかる。
深いなぁ。。


●「女」1937年 (写真なし)
マザッチョの「楽園追放」をモデルにイブを描いたもの。
イブが悲嘆にくれたようすは、名画「楽園追放」の構図を思い出す。


福沢一郎_船舶兵基地出発.jpg

●「船舶兵基地出発」1945年
福沢も他の画家同様、戦争画を頼まれて、何枚か描いた。3枚ほど展示されていた。
当然、どれも暗い色彩の画面であるが、勇敢に戦っていますというものだった。
これも荒巻く波の中、船をこいで基地を出発する兵隊。1945年、終戦の年、無事、
帰れるのだろうか、と、胸が痛む。国民映画の宣伝用スティール写真をもとに描いた。


福沢_敗戦群像.jpg

●敗戦群島 1948年
敗戦だったが、戦争は終わったということで、空の色が明るい。
三角形構図を作る人々は疲弊し、死の一歩手前。

 

福沢_トイペ戦争.jpg

●トイレットペーパー地獄 1974年
[彼らはなぜトイレットペーパーを奪い合うのか]
というキャプションが大きくついていた。
1974年なので、私にはわかる。
1973年、オイルショックによるデマ騒動。「トイレットペーパーがなくなる」。
それは大変とみんなが買いだめをしたため、店頭からトイレットペーパーがなくなった。
デマに翻弄される人々を描いている。

戦後、福沢の描く人間は、裸の原始的なものになってきた。群衆を表すには、それがいい
と思ったのだろう。
福沢は、戦後、南米・メキシコへ1年以上、長旅をした。そこで、がらっと作風が変わる。
原色中心の色合いに変わり、ステンドグラスのような作風。
旅ののち「文明批評としてのプリミティヴィズム」という展覧会を開催した。
その時の作品が ↓ である。「埋葬」1957年
撮影可能作品。


福沢_メキシコ.jpg


福沢は知的なユーモアによって、社会の矛盾や人びとの愚かな行いを諷刺的に笑いとばした。
それが、チラシのメッセージ「このどうしようもない世界を笑いとばせ」なのだ、と
見終わってわかった。

作品は103点あり、ていねいな説明がついているので、見るのに2時間かかったが、見応えが
あり、とても良かった。

5月26日(日)まで。
同時開催の「杉浦非水」展では、図案家・非水による商業ポスターや絵はがき、原画などが
展示されています。昔の三越のポスターなど、今見ても斬新で、おしゃれな面がありました。
こちらもおすすめです。



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フィリップス・コレクション展 [展覧会(洋画)]

タイトルが「全員巨匠!フィリップス・コレクション展」
フィリップス・コレクションは、アメリカで最も優れた私立美術館である。
その通り、全部、すばらしかった!
これはチケット。ドガ「稽古する踊り子」とセザンヌ「自画像」とスーラ「石割人夫」の絵。

ticket260.jpg


A4判のチラシの表にある絵の紹介写真は以下の3つ。
ピカソ「緑の帽子を被った女」1939年(寄贈された作品)
ゴッホ 「道路工夫」1889年
モネ 「ヴェトゥイユへの道」1879年

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そして、チラシの裏には、
アングル「水浴の女(小)」1826年
ボナール「犬を抱く女」1922年
ジャコメッティ「モニュメンタルな頭部」1960年、、他。

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Bonnard150.jpg


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これだけで、ぜひ、行かなくては!と思う。
アングルの「水浴の女(小)」は、ルーヴルにある「ヴァルパンソンの浴女」1808年
背景に、「トルコ風呂」1862年のように女性たちが描きこまれ、シーツの上にはベッドカヴァー
らしきものがあり、元の絵「ヴァルパンソンの浴女」のすっきりした白が失われているが、
濃い色の背景で裸婦自体が浮かび上がる。

先々月に見た「ボナール展」は、とても良かったが、こういうタイプのはなかった。
縦長の画面、背景の薄いブルーに、妻の髪、犬、テーブルのケーキという茶色の縦の線。
妻の服の赤に白のストライプも目に染みる。モダンな感じがする。ボナールの絵では、
しばしば猫が脇役として描かれているが、犬の登場する絵も多い。

ジャコメッティも好きな作家なので、2017年の展覧会に行った記事がある。

ゴーガンの「ハム」1889年
これもチラシにあったけれど、実物はリアル!横60センチと小さくないので、
ハムは実物より大きくてインパクト大。横にはコップに入ったワインとペコロス
(小さい玉ねぎ)。友達が「このハム、バイヨンヌ?」と少しおどけて訊いてきた。
さては、おなかが空いてるのね。薄切りにしたの
とワイン、、もう夜ご飯はこれに決まり?

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期待に違わず、どの絵もとても良かったが、面白かったのは展示方法だった。
フィリップス氏がコレクションした年代に沿って展示され購入年が記されている。

フィリップス氏はペンシルヴァニア州の鉄鋼王の孫。大学時代から美術に興味を持ち、
コレクションを始めた。妻も画家である。
最初に購入した絵は、シャルダンの「プラムを盛った鉢と桃、水差し」1728年、
26才の時であった。
chardan250.jpg

1、1920年代のコレクション

シャルダンの次に購入したのは、ドーミエの「三人の法律家」、モネ「ヴェトゥイユへの道」
2年後に、ドラクロワ「パガニーニ」
さらにシスレー「ルーヴシエンヌの雪」、クールベの「地中海」「ムーティエの岩山」、
モリゾ「二人の少女」、コンスタブル「スタウア河畔にて、マイヨール「女の頭部」

初期に気に入って購入したドーミエとクールベの作品は、私からすると、典型的な
ドーミエ、クールベではない。
ドーミエの「蜂起」は、制作が1848年以降とあるので、フランス革命での市民蜂起
だろう。ドーミエは労働者階級の生活を写実的に描いているのに、ブルジョワの
フィリップス氏が共感を持ったのが不思議だった。遠い国フランスでの出来事、
自由を愛するアメリカ人だからだろうか。
*クールベには風景画や狩りの場面が多いが、「地中海」は画面の上半分が緑がかった空、
下半分に雲と紺碧の海、波頭が一直線上に描かれている。空の大きさ、海の広さを感じさせる。
*ドラクロワ「パガニーニ」は、パガニーニの演奏姿。超絶技巧の演奏が評判だったが、
速い動きを捉えるのが上手なドラクロワゆえ、体を使っての演奏ぶりがわかる。
ドラクロワはヴァイオリンが上手だったから、手、指の位置が正確に描けているそうだ。


*ボナールの「犬を抱く女」は展覧会で見て気に入り、以後、ボナール作品を
ちょくちょく購入する。他2点が展示されていた。

2、1928年のコレクション
マネ「スペイン舞踊」、ボナール「棕櫚の木」、セザンヌ「自画像」、ヴュイヤール

「新聞」、
Bonard_Syuro.jpgボナール「棕櫚の木」


3、1930年代 理想の蒐集品
キュビズムの作品が続く。ピカソ?と思ったら、4点全部ブラックの作品。
フィリップス氏はブラック作品を「フランス的センスにあふれている」と気に入り、
7点の展示。全部で74点なのだから、そのうち7点は突出している。

スペインのファングリスの「新聞のある静物」もブラックに似た作風。
デュフィ「画家のアトリエ」、ゴッホ「アルルの公園の入り口」が良かった。
ゴヤ「聖ペテロの悔恨」、ピカソはブロンズの彫刻「道化師」


4、1940年前後の蒐集
第二次世界大戦の時代。アメリカ本土は戦場ではなかったので、蒐集を続け、
カンディンスキー「連続」を購入。楽譜をイメージする綺麗な色の初期の抽象画。
クレー、ココシュカ、マティス「サン=ミシェル河岸のアトリエ」も購入。


5、第二次世界大戦後
ゴーガンの「ハム」を購入したが、そのために、持っていたタヒチでの絵を売却。
作家の特色よりも、自分の好みを優先しての購入。
アングル「水浴の女(小)」は、ここにあった。


6、ドライヤーコレクションの受け入れと晩年の蒐集
コレクターのキャサリン・ドライヤーと知り合う。数年後、ドライヤーの死後、遺品の
寄贈の話があり、カンディンスキー「白い縁のある絵のための下絵」、フランツ・マルク
「森の中の鹿」、カンベンドンク「村の大通り」を受け取り、ブランクーシの彫刻は、
拒否をした。好みに合わなかったらしい。
Camppendock300.jpgカンベンドンク「村の大通り」


7、ダンカン・フィリップスの遺志
展覧会のサブタイトルは「A Modern Vision」。
フィリップス氏は、スーティン、ココシュカ、モランディなどを購入し、
アメリカでのモダン・アートの普及に努めた。
41才で自死したニコラ・ド・スタールの初個展も開催した。

フィリップス氏の死後も美術館フィリップ・コレクションへ良品の寄贈があり、
最後の部屋にあるピカソ3点、ロダンの彫刻、ドガ「リハーサル室での踊りの稽古」
は寄贈されたものである。


※追記

フィリップス・コレクション展は、2005年に国立新美術館で開催されました。
その時のりゅうさんの記事です。 
今回の出品作品とかなり重なっているので面白いと思います。


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ルーベンス展(西洋美術館) [展覧会(洋画)]

東京・上野の西洋美術館で開催中の「ルーベンス」展は、たぶん、過去最大規模の
ルーベンス展。たくさんの大きな絵に圧倒され、見終わった後に大きな満足感があります。
だって、ルーベンスは、「王の画家にして、画家の王」なのですから。


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ルーベンス(1577~1640)は、バロック(ドラマティックで重厚長大な絵画)の巨匠とよばれている。
ベルギーのアントウェルペンに大きな工房を構え、弟子を使った分業体制で、たくさんの
絵を制作をし、教会や王侯貴族たちが顧客だった。(ルーベンスの家を見学した時の記事はここをクリック

ルーベンスは、若い頃、イタリアに数年間滞在し、古代彫刻や、ミケランジェロやラファエロ、
カラヴァッジョなど、さまざま美術に触れ、自分の絵画を確立させた。今回の展覧会では、
ルーベンスに影響を与えたイタリア美術も展示されている。

最初に登場するのは、「クララ・ヘレーナ・ルーベンスの肖像」(1615年)
ルーベンスの愛娘クララの肖像。2012年の「リヒテンシュタイン侯爵家の秘宝展」で、
チラシに使われていた絵。
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ルーベンスは、良き家庭人でもあったので、「眠る2人の子供」(1612年)は、
西洋美術館蔵なので、いつ見てもほほえましく、かわいい。
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「幼子イエスと洗礼者聖ヨハネ」(1625年)
この幼子イエスは、ルーベンスの息子ニコラースがモデルと考えられている。
イエスは羊を撫で、羊の毛皮を身につけていることから、もう一方の子供はヨハネとわかる。

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もちろん、これぞ、バロックという絵もたくさんあった。
「パエトンの墜落」(1604年)
ギリシア神話:太陽の戦車を暴走させたパエトンが、ユピテルの放った雷を受けて墜落する場面。
のけぞった馬から墜落する赤いマントを持ったパエトン。まばゆい雷光。左手では女神たちが
恐怖におののく。
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美術館前の看板広告に使われているのは、「エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち」(1615年)
ギリシア神話:ケクロプスの王には美しい3人の娘がいた。開けてはいけないと言われている籠を
3人が開けると、中には幼子エリクトニオスと大蛇が入っていた。結果、3人は大蛇に噛み殺されてしまった。

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チラシに使われている絵は、「マルスとレア・シルヴィア」(1616年)の部分。
レア・シルヴィアは、王族の娘で、ローマ建国のレムスとロームルス兄弟の母。
軍神マルスに襲われ、身籠ったといわれている。ルーベンスは、この絵を描くために
当時の神殿の内部を研究資料を当たって調べた。

バロックの絵は、神話や聖書に題材をとったものが多い。
「法悦のマグダラのマリア」(1625年) 
手前に頭蓋骨があることから、マグダラのマリアとわかる。悔悛後の法悦の表情だろう。

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「スザンナと長老たち」1611年以前
人妻スザンナの水浴びを覗いていた長老2名は、美しいスザンナを襲おうとする。
(今なら、セクハラですぐに訴えられる) 恐怖と困惑のスザンナの表情。
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「聖アンデレの殉教」(1638年)
縦3m、横2mの大きな絵。
ルーベンス最後の大作宗教画。聖アンデレは12使徒のひとり
殉教の最後の場面。天から降り注ぐ光。右上には天使が舞い降りてきている。
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ルーベンスらしくはないけれど、美しいのが、このカメオのような絵。
イタリアに学んだとわかる。
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聖書がわからなくても、絵に内容の説明が書いてあるので、読みながら、「そういうわけね」
と、わかるようになっている。

良い展覧会なので、おすすめです。


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ボナール展(国立新美術館) [展覧会(洋画)]

国立新美術館で開催中の「ピエール・ボナール展」に行った。
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ボナール(1867~1947)は、年代からいうと後期印象派で、ナビ派に属するといわれている。
今まで数々の展覧会で見てきたボナール作品だが、単独での展覧会は初めて。
一昨年、オルセー美術館での回顧展が大変な人気だったことから、ボナール評価が
高まり、今回、日本開催となった。

ボナールは、「日本かぶれ」と呼ばれるほど、日本の浮世絵が好きだった。その影響で、
屏風仕様の縦長画面の絵をいくつも制作している。
「庭の女性たち」1890年

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長いドレスの後ろ向きの女性がこちらを振り返るのは、「見返り美人」にヒントを得たのだろう。
服がどれも個性的で、4つの絵のタイトルは、「白い水玉模様の服を着た女性」「猫と座る女性」
「ショルダー・ケープを着た女性」「格子柄の服を着た女性」となっている。
花や植物が描かれた背景がどれも装飾的で斬新。
一番右の女性は、当時、ボナールが憧れていた従妹ベルト、その隣のケープの女性は、恋人ルネ。
後に妻となるマルトに出会う前である。


「格子柄のブラウス」1892年
妹アンドレがモデル。これもジャポニズムで縦長の画面。
猫がお皿のデザート?を狙って、前足を長く伸ばしているのがかわいい。
2010年の「オルセー美術館展 後期印象派」にもこの絵は来ていた。

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「黄昏」(クロッケーの試合)1892年
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夕暮れ時、別荘でクロケットを楽しむボナール一家。
右奥の赤い炎が夕陽で、輪になって遊ぶ子供たちが遠景。
左奥の白いジャケットを着た男性が妹のご主人作曲家クロード・テラス。
手前の男性は父、中央は妹アンドレ、背を向けているのが従妹ベルト。
父と従妹の格子柄の服が目立つ。これは画面を平面的に見せる効果を出している。

格子柄の服が登場する絵が多い。

「白い猫」1894年
「格子柄のブラウス」の猫は、足を長く伸ばしていたが、これは足が3倍!
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ボナールの父は陸軍省の事務長だった。ボナールはパリの名門リセ(高校)に進み、
父の望みどおり大学の法学部を卒業し、役場の会計係となる。その傍ら、国立美術学校で
学び、シャンパンの広告コンクールで差優秀賞を取る。
泡、泡、泡、で楽しそう。時代を反映してアールヌーボー調。
ロートレックは、このポスターを見たことで、ポスターに興味を抱いたそうだ。
「フランス=シャンパーニュ」 1891年 川崎市市民ミュージアム
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他にも軽妙でおしゃれなリトグラフが数枚展示されていた。

「黒いストッキングの少女」1893年
街角で出会い、後に妻となるマルトがモデル。小さな絵。
ロートレックの絵のような雰囲気を感じた。

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これも小さな絵
「ランプの下の昼食」1898年
昼食と言うのにかなり暗い。よく見ると人物は5人。手前に少年2人と母親。
奥に赤ん坊と赤ん坊にスプーンで食べさせている乳母。左上はランプ。
当時、ナビ派の画家たちはランプの灯りの下に集う家族を暗めの画面で描くことが多かった。

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当時、評判になった戯曲「ユビュ王」に熱心だったボナールは、挿絵を描いた。
ルナールの「博物誌」、義弟クロード・テラスのピアノ曲の楽譜にも挿絵を描いた。
それらも展示されていたが、あまり惹かれなかった。

また、ボナールは早くから写真に興味を持ち、1888年、21才の時、コダック社の
ポケットコダックを入手している。ヴェネティアにヴュイヤール、ルーセルと旅した時の
スナップ写真も展示されていた。家族の写真も多い。マルトと出会ってからは、入浴する
マルト、庭でのマルトと裸の写真が出てくる。
「ルノワール+ルノワール展」で見た「オーギュストとジャン・ルノワール」の写真があったので、
ボナールの撮影だったのね、と、100年前の写真が綺麗だったことを思い出す。


「ル・グラン=ランスの庭で煙草を吸うピエール・ボナール」1906年頃
39才。当時パイプをくゆらせるのは、おしゃれだったんでしょう。

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パリで画家としてのスタートを切ったボナールだが、ノルマンディの自然に魅了される。
ジヴェルニー、モネの家から5km位の所に居を構えた。
マルトと一緒に住むようになったので、彼女がモデルを務めることが多くなった。
一番上にあるチラシの絵、「猫と女性」1912年頃は、マルトが食卓にいる絵である。

「賑やかな風景」1913年頃 愛知県美術館

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化粧品会社のヘレナ・ルビンスタインの注文で描かれた大きな絵。
風景の中に女性と犬がいて、ユートピアを意識しているのだろう。
右側の木の下の女性はマルト。

ボナールは、入浴好きのマルトをモデルに、入浴姿を何枚も描いた。
裸婦は別のモデルで描いたこともあった。
「バラ色の化粧室」1914年
光あふれる絵で、やさしい色彩が美しい。
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「不意に部屋に入ったとき一度に見えるものを描きたかった」とボナールは語っている。
1890年代は、「ランプの下の昼食」のように暗い室内で人物が浮かび上がる絵だったが、
1900年代には、明るい光が差し込む絵をル・カネ(南フランス)の別荘で描くようになる。
上の裸婦も明るい光がまぶしいほどである。

「ル・カネの食堂」1932年
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まばゆいオレンジ色の光、左奥にマルト、中央に白いテーブル。テーブルの上に載って
いるのは果物の器や水さしだろうか。色彩のせいか幸せ感が漂う。
ボナールは、シャルダンの静物画をまねて、テーブルの中央に器を置いた。


「アンティーブ」1930年頃
南フランスのアンティーブは風光明媚な所なので、モネやシニャックもここを描いている。
                          シニャックの「アンティーブ」 → ここをクリック
B_entibe.jpg

南フランスで、ボナールはマティスと親交を持った。
年齢は、ボナールの方が上だったが、刺激をうけることが多かった。
(その辺りのことは、「マティスとボナール・地中海の光の中展」 記事参照)

マルトとボナールが知り合った時、マルトは「16才」と答えたけれど、本当は24才で、
実際に結婚したのは58才で、本名も違っていた。
2つの世界大戦を生きてきたのに、ボナールの絵の色彩は美しく、光でゆらめく
ような形は写実とほど遠いが、不思議な魅力がある。


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ルーヴル美術館展 肖像芸術 [展覧会(洋画)]

国立新美術館へ「ルーヴル美術館展 肖像芸術」を見に行った。
メトロ「乃木坂」駅直結の国立新美術館は、暑い夏の日には外を歩かなくてすむので、
便利。それほどの混雑もなく、ゆっくり見れた。
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ルーヴル美術館展は、これまで何回もあったので、どこに焦点を当てるかでサブタイトルが
ついている。今回は「肖像芸術」というタイトルで、肖像画、彫刻の傑作が展示されていた。


まずは、今から3400年前、エジプト新王国時代の「棺に由来するマスク」
この時代は、本人の顔でなく、「理想化された顔」の画が棺に張り付けられた。
眉と眼の周りは派手な青ガラス製で、暗い会場の中で、人目を惹く。

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ところが、時代が過ぎ、2世紀後半の女性の肖像」 エジプト 
になると、理想化されたものでなく、生前のリアルな顔になる。リアルでこれなら、
美しい人。

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「ボスコレアーレの至宝{エンブレマ型杯}」 イタリア、35~40年頃
カンパニア州ボスコアーレで1895年に発見 銀: 
ボスコアーレはヴェスヴィオス火山噴火で溶岩の下に沈んだ町である。


古代ローマでは、自分の先祖を崇拝する習慣があり、先祖の姿を表現した肖像は、
家の中に大切に飾られていた。この杯の中央の男性が御先祖様。
銀を外から叩き出し、肖像を飛び出させている。飲むときに鼻にぶつかるのでは?
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<写真なし>
「ブルボン侯爵夫人次いでブーローニュ伯およびオーベルニュ伯夫人
ジャンヌ・ド・ブルボン=ヴァンドーム(1465~1511)
ランス王アンリ2世の王妃で、夫の死去によりブーローニュ伯、オーベルニュ伯
と結婚したので、タイトルが長い。
等身大の立像だが、俯いた頬はこけ、胸には蛆虫、お腹から腸が飛び出すという
悲惨でグロテスクな姿。病気でこのような姿になったが、本当の墓には、横に
美しい時代の立像が並んでいると説明が書いてあったので、ほっとした。



「アレクサンドロス大王の肖像」2世紀前半
有名な古代マケドニアの王。エジプト、ペルシアを征服し、インドにまで勢力を
拡大したが32歳で病死。こんなお顔だったのね。

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<写真なし>

「マラーの死」フランス革命のジャコバン党の指導者マラーの暗殺の場面の絵。
マラーは入浴中。左手に読んでいた暗殺者からの手紙を持ち、右手に返事を書くための
羽ペンを握っている。

<写真なし>

「5才のフランス王ルイ14世」ジャック・サザラン 1643年
わずか5才で国王となったルイ14世の胸像。古代ローマ皇帝ふうの胸像。

「アルコレ橋のボナパルト」グロ 1796年
ナポレオン27才、アルコレ橋の戦いでオーストリアに勝利した時の絵。
軍旗を掲げ軍を率いる強さが現れている。今回のチラシの裏表紙に使われている。
グロは、大作「ナポレオンの戴冠式」を描いた新古典主義のダヴィッドの弟子。
グロもダヴィッド同様、皇妃からの依頼でナポレオンの武闘を称える絵をいくつも
描いている。
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戴冠式の正装のナポレオン1世の肖像」トリオゾンの工房 1812年以降 
トリオゾンは、戴冠式の正装をしたナポレオンの肖像を36点も制作した。
それらは各地にあるナポレオンの事務所に置かれた。ナポレオンは絶頂期だった。
トリオゾンもダヴィッドの弟子で、新古典主義を基本としているが、この絵は
写実的である。

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<写真なし>

戴冠式の正装のナポレオン1世クロード・ラメ 1813年 大理石
部屋の中央に置かれた等身大以上、大きな彫刻。
頭に、ローマの月桂冠、白貂の毛皮には、フランス王室の蜜蜂模様。
彫刻なのに、ドレープや胸元のレースの表現がみごと。


※ナポレオンのデスマスク、かぎたばこ入れなども展示されているので、ナポレオンの
ファンのかたは是非いらしてください。

「フランス王子、オルレアン公フィリップ・ド・ブルボンの肖像」 アングル 1842年
大きな絵。オルレアン公が、自らアングルに注文した作品だが、完成した時には、公は
馬の事故でこの世を去っていた。32才だった。左手が長く見えるのは
アングルの美意識
からだろうか。
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「女性の肖像」(美しきナーニ)ヴェロネーゼ 1560年頃
チラシに使われてる絵。(一番上の写真)
この作品がナーニ家にあったので、「美しきナーニ」と呼ばれているが、女性が
誰なのかはわからないそうだ。衣装が大変に豪華。モデルの頭の小ささが印象的。


スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像エリザベート・ヴィジェ・ル・ブラン1796年

ヴィジェ・ル・ブランは、マリー・アントワネットのお抱え画家だったため、フランス
革命後、各地を経由してロシアに亡命、ロシアの宮廷の人たちの肖像を多く描いた。
スカヴロンスキー伯爵夫人は、美貌で有名だった。
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第2代メングラーナ男爵、マルティネスの肖像」 ゴヤ 1791年
「まぁ小さい」と思ってしまう。モデルは当時2才8か月。
無地の背景。シルエットを包む光輪がモデルの存在感をいっそう強めている。
衣装も大変美しい
。サンローランはこの絵を所蔵し、自らのデザインのドレスに
インスピレーションをもらった。
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性格表現の頭像」メッサーシュミット 1771-1783の間 鉛錫合金
作者は、うつ病に悩んでいたので、自らのしかめっ面を作品にすることで、病に
勝とうとした。
この作品は、2011年ルーヴル美術館での「メッサーシュミット回顧展」のチラシにも使われていた。
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「春」アルチンボルド 1573年
アルチンボルドは、人の顔を動物や植物で表現する絵で当時から人気があった。
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気軽に見れる展覧会なので、暑い日中を過ごすには良いと思います

9月3日まで。



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プーシキン美術館展(東京都美術館) [展覧会(洋画)]

プーシキン美術館展は、何年かに一度、開催されている。


プーシキン美は、近代フランス絵画を多く所蔵しているので、同じ絵の来日は少ないし、
質の高いものが多い。今回のテーマは「旅するフランス風景画」である。

1、最初の作品は、クロード・ロランの「エウロペの略奪」1655年
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あまり大きくない画面、風景画の下のほうにギリシア神話の「エウロペの略奪」の場面
が描かれているが、小さいので、近くに寄らないと見えない。
白い雄牛に変身したゼウスは、侍女たちと海辺で遊ぶエウロペに近づき、エウロペが雄牛
に腰をかけた途端、ダッシュで海を駆け抜けクレタ島に向かった。
ロランは、イタリアでアゴスティーノ・タッシに学び、光を意識した風景画の中に
神話を取り入れた。当時、風景画は評価が低かったので、古典的な神話を取り入れることで、
買い手がついたのである。空の青、雲、木々が美しい。


2、ミレーの「ハガルの追放が描かれた風景」(17世紀後半)も風景画の中に旧約聖書の
一場面が描かれている。長らくプッサンの義理の弟デュゲの作品と思われていたが、
プーシキン美術館に収蔵された際、ミレーの作品と判明した。


3、クロード・ジョセフ・ヴェルネ「日の出」と「日没」1746年(写真なし)
陽の光がまぶしい朝焼け時、波しぶきをあげる海と出航しようとする小舟を描いた
「日の出」と金色に海が染まる夕焼け時のの帰港の様子を描いた「日没」



4、ジエム「ボスポラス海峡」19世紀後半

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ターナーふうの海景。

ジエムは、エキゾチックな風景や海景を得意とした。
手前には、ターバン姿の男たち。遠方にはイスタンブールの街並み。
存命中にルーヴル美術館に作品が所蔵された最初の画家である。


5、コワニエ/ブラスカサ「牛のいる風景」19世紀後半
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コワニエもブラスカサも共にイタリアに学んだ。

風景画よりも動物画家として評価されたブラスカサは、風景部分をコワニエに
頼んだ共作。


6、コロー「夕暮れ」1860~70年 (写真なし)
うす明るさの中、大きな2本の木と夕暮れを眺める2人の人物。得意とする
「思い出」の風景である。しかし、1870年代中頃には、現実の風景が好まれるように
なったので、描いたのが横長で画面の3分の2が雲天の「嵐」(写真なし)である。


7、クールベ「山の小屋」1874年頃

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雪で覆われたスイスアルプスの山々。手前にひっそりと佇む山小屋。
洗濯ものや煙突の煙から日々の暮らしが伝わる。
民衆の日々の暮らしを描いたクールベは、パリ・コミューンで民衆側に立って活動したが、

政府軍に捉えられ投獄されてしまう。身の危険を感じたクールベはスイスに亡命し、
ここで亡くなった。


8、ルノワール「庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰」1876年(写真なし)
木漏れ日の下での語り合い。モデルは大作「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」
と同じ面々だろう。
服が同じなので。

9、ルイジ・ロワール「パリ環状鉄道の煙」1885年(写真なし)
横3mある大きな絵。厚い雲に覆われた空と雨上がりの湿った道路の間をモクモクと
煙が横切る。煙で部分的に見えなくなっている建物や人々。手前の煙がない部分の
馬や人々は明快に描写されている。モノトーンだけの画面が印象に残る。


10 ラファエリ「サン・ミシェル大通り」1890年代

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奥にパンテオンが見える。通りの両脇の建物は6階建て。

路面がぬれていることから、雨上がり、人々が街に繰り出してきた様子とわかる。
人々の服装から、当時の流行が推測できる。活気あるパリの街。


11 コルテス「夜のパリ」1910年以前 (写真なし)
19世紀、
ガス灯が設置され、配電網も敷かれ、パリの街は明るくなった。
店の灯りがガラス越しに通りを照らし、道行く人が見える。遠くに見えるのは、
パンテオンだろうか。コルテスはパリの景色を繰り返し描いた画家。


12 アルベール・マルケ「パリのサン・ミシェル橋」1908年

マルケ_パリのサンミッシェル橋.jpg

マルケはサン・ミシェル河岸に住んでいたので、これはアトリエから見下ろした
景色だろう。フォーヴの時代を経て、色彩が落ち着いてきている。
簡略化された形と明るい色彩でリズミカルな絵。


13 モネ「草上の昼食」1866年(上のチラシに用いられている絵)
チラシに使われているのだから、今回の一番の目玉作品。
パリの近郊でピクニックを楽しむ人々の様子。マネの同名の作品の3年後に描かれた。
モネ26才。中央にすわる女性2人はモネの妻カミーユがモデル。後ろに立つ背の高い男性と
左端の男性は、画家バジールがモデル。
木漏れ日や光の輝きは実際の絵で見るとよくわかる。

14 モネ「陽だまりのライラック」1873年

モネ陽だまりのライラック.jpg
満開のライラックにまぶしいほど光が差し込む。
パリから鉄道で15分の地、アルジャントゥイユに庭付きの家を借りたモネ。

家の庭で、妻カミーユと息子ジャン、ジャンの乳母がモデル。
同じ時期にモネは「ライラック・雲天」を制作した。同じ場所、同じ構図、天候の
違いでの絵は、積みわらや睡蓮といった後の連作の先駆けである。
「ジヴェルニーの積みわら」「白い睡蓮」も出品されている。


15 セザンヌ「サント・ヴィクトワール山の平野、ヴァルクロからの眺め」1885年

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セザンヌはサント・ヴィクトワール山の絵を30点以上制作している。
これは初期の作品。山が空気を感じさせ清々しい。中景の家の直線とはっきりした面が
全体を引き締めている。
最晩年の幾何学的な形の連なりの絵もっ展示されていたので比較ができて面白い。


16 ボナール「夏、ダンス」1912年

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プーシキン美術館の作品コレクターであったモロゾが注文した自邸用の装飾画。
具体的な物語ではないが、明るい光に満ちた牧歌的な風景。愛犬と戯れる黒い服の女性は
ボナールの妻マルト。


17 アンリ・ルソー「馬を襲うジャガー」1910年

ルソー_馬を襲うジャガー.jpg

熱帯ジャングルの木々の中央に動物がいる構図はルソーの得意とするところ。
ジャガーが白い馬にがぶっと噛みついている場面だが、馬が痛そうな顔をしていない。
それがこの絵を悲惨にさせず、幻想的な雰囲気にしているのだろう。
ジャングルの緑に所々配置された赤、オレンジ、白の花がアクセントになっている。


☆彡すばらしい作品ぞろいなので、おすすめです。7月8日まで。

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